試練の中で
イエス・キリストの弟子達は、ある時期、イエス様こそ、この地上にユダヤ王
国を築き、ユダヤの王になられる方だと信じていました。そしてそのあかつきに
は、自分達も右大臣左大臣になることを望んでいたのです。彼らは、イエス様に
従っていれば、この世での成功を手に入れることが出来る、安全が保障されると
思っていました。
しかし、イエス様に促されて船に乗ってしばらくすると、海上は嵐に見舞われ
ます。「どうして、イエス様のおっしゃるとおりに従ってきたのに、なぜ?」と
いぶかります。
さらに弟子達の疑問はイエス様の十字架を見て、頂点に達します。何故、私た
ちの救い主が十字架の刑で死んでしまわれるのか?彼らのこの世での成功神話は
音を立てて崩れてゆきました。
しかし、その時まさに、人類を救う、神のご計画が実現したのです。
私たちも時として、この成功神話に惑わされることがあります。信仰を持って
いるのだから、災いがあるはずがない、とか、病気になるはずがない、とか、ど
こかで神様による安全の保証や、この世での成功を求めているふしがあります。
また、このような災いがあるのは、神様の祝福からもれているのではないか、
と思ってしまうことがあるのです。
しかしイエス様はヨハネによる福音書16章33節で、あなたがたは、この世
ではなやみがあるおっしゃいました。そして、同時に、これらのことをあなたが
たに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。勇気を出しなさい。わ
たしはすでに世に勝っている」ともおっしゃるのです。
困難が生じることが真の問題ではありません。困難の中で、そこに居てくださ
る勝利者イエス様を見失うことが問題なのです。試練の中で、私たちの足りなさ
や欠点が浮き彫りにされます。反省することは必要です。
しかし弱さや足りなさに目が奪われて失望してしまうことが問題なのです。困
難の中でその中で着々と御業をなしてくださる勝利者イエス様を見てゆく信仰と
勇気が問われているのです。
(by 藤田 昌孝)