清い心が選ぶもの
マルチメディアという言葉が生まれてからどれくらいの年月がたったでしょう
か。人々は映画館に行かずとも、自宅でビデオを見ることができ、コンサートの
ありさまを自室のコンピューターやテレビで知ることができます。本屋さんに行
かなくても、インターネットを通して世界中の本が手に入るようになりました。
このような情報の洪水の中で、私たちはその中の一つを選んでゆかなければな
りません。選ぶ本人は私たち1人1人です。1人の人間の心がその選びを決定し
てゆきます。何を見たいか、何を聞きたいか、何を知りたいか、何を買いたい
か、、私たちの心の状態がそれらにについて色濃く反映されてゆくのです。
はるかに続く、情報の大海原の中で、一つの選び、その方の好みによってなさ
れる選択は、その方の心のありようをみごとに表わしていると言っても過言では
ないでしょう。
心が正しければ、正しいものを選ぶでしょうし、心が健康であれば、健康的な
選びがなされるでしょう。反対に心が不健全であれば、不健全なものを求めるか
もしれません。
聖書に次のような言葉があります。
「すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて純真な
こと、すべて愛すべきこと、すべてほまれあること、また徳といわれるもの、称
賛に値するものがあれば、それらのものを心にとめなさい。」ピリピ人への手紙
4章8の言葉です。
また、マタイによる福音書5章8節には 心の清い人たちは、さいわいである、
彼らは神を見るであろう。とあります。1:55
私たちの心はイエス様の愛と恵みのうちに清めれてゆきます。神様に愛されて
健康にされてゆきます。
私たちの心が、イエス様からいただく、清き霊によって養われているか否かは、
私たちの好み、選びに大きく表わされてくるでしょう。
神様の愛とゆるしによって養われている心は、神様を、真実を、賞賛にあたい
するものを求めてゆくにちがいありません。
(by 藤田 昌孝)