どこから来てどこに
旧約聖書創世記にアブラムとサライという夫婦が出てきます。二人にはなかな
か子どもが与えられず、妻サライのすすめで、召使のハガルという女性がアブラ
ムの子を宿します。すると召使ハガルは女主人サライを見下すような態度をとり
始めます。
「なんとかして下さい。」とサライは夫アブラムにつめよります。
「好きなようにしなさい」。と主人アブラムが言います。
そこでサライは召使ハガルをいじめ始めます。たまらず、ハガルは家を出てし
まいました。神の使いが泉のほとりでそんなハガルと会い、彼女にたずねます。
「サライのつかえめハガルよ、あなたはどこからきて、またどこへゆくのですか」
「わたしは女主人のサライの顔をさけて逃げてきました。」
そこでみ使いは
「今来たところへ、帰りなさい。」と語ります。「もう一度女主人のもとで素
直に仕えてごらんなさい。そうすれば道が開けますよ」という思いからでしょう
か。
あなたはどこからきて、またどこへゆくのですか?
私たちもハガルと同じような質問をみ使いから受けなければならない時があり
ます。
私たちはいろいろな思いをもって、その場を訪れます。ある人は喧嘩をしてハ
ガルのように家を飛び出したかもしれません。ある人は心の空しさをまぎらわす
ために、酒場にゆくかもしれません。あるいはパチンコをやりに行くかもしれま
せん。
もし、自分の行こうとしている場所が間違っているような気がしたら、また、
自分の歩んでいる道がどうもおかしいと感じたら、一度戻るべきところへ、戻っ
てみる必要があるかもしれません。
私たちの帰る場所とはいったどこでしょうか。
奥様はもう一度、ご主人様に心からお仕えしてみては、いかがでしょうか。ご
主人は奥様の疲れた肩をマッサージされてみてはいかがでしょうか。子どもは親
にありがとう、と言ってみてはいかがでしょう。
そしてなによりも、私たちのことを愛してやまない神様の御愛をもう一度受け
とめて、その心を神様の愛で一杯にしてみてはいかがでしょうか。
(by 藤田 昌孝)