わたしはあなた及び後の代々の子孫と契約を立てて、永遠の契約とし、あなたと 後の子孫との神となるであろう。創世記17:7

  神との契約

 聖書には、「旧約聖書」、「新約聖書」と2種類あり、それぞれ、神様との古 い契約、新しい契約について記述したものとの理解があります。実際、聖書の中 には、数多くの神様の契約の言葉が記述されています。

 しかしながら、この「契約」という言葉を考えるとき、一般的に使う人間同士 での「契約」の概念で神様との「契約」を考えると無理があるように思えます。

 人間同士の契約の場合、弱者対強者、雇用者対被雇用者、金持ち対非金持ちと 言うような、力関係に差があったとしても、契約を結ぶ上では、その関係は対等 なものです。お互いに権利と義務を負うものです。

 例えば、お金持ちと非お金持が、金銭の貸借という契約を結んだ場合、後者は、 一時的にまとまったお金が入るという恩恵がありますが、前者には、定期的な利 息が入って来るという恩恵があり両者それぞれに恩恵があるわけです。

 神様が救いの約束(私達への恩恵)をされて、神様にとって私達が返すことが 出来る何か恩恵があるでしょうか。答は、否です。それでは、神様は、その契約 の中で、何故条件を付けられるのでしょうか。

 私達が離れた目的地に行く場合、バスに乗ることがありますが、バスに乗る前 に切符を購入して、自分自身を短時間で目的地に運んでもらうという恩恵を受け る代わりに、バス会社がお金を得るという恩恵を与えます。

 永遠の命を頂くという目的地に到達するため、イエス様の運転される救いのバ スに乗る場合、私達は、代価を払ってその切符を買う必要はありません。唯感謝 してそのバスに乗ればいいのです。ここでは、バスに乗ると言うことがイエス様 の示された条件なのです。

 この様に神様の示される条件は、神様の利益のためではなく、我々に示された 約束を実現するために我々が実行しなければならない手順みたいなものです。

 しかし、私達は、ややもすると「恵みを受けるだけでは、申し訳ない、私達も 何かしなくては」と思い、余計なことをしたり、人間的な決まりを作ったりする のです。これは一見すると謙遜な思いで身を包んでいるように見えますが、実際 はその逆で、神様と同じレベルになろうとする、傲慢さの現れに他なりません。

 折角バスに只で乗せてくれたのに、「只では申し訳ない」といって、荷物も降 ろさずに背負ったままで、その場で駆け足しているようなものです。

 私達には、神様に返すことの出来る何物も持っていません。この思いで再度、 神様の私達に対する契約書である聖書を読み直すと、いかに神様が私たちを愛し ておられるかを万分の1でも理解できるかもしれません。
(by 和夫)