人間の尊厳
あるジャーナリストが、日本の教育の最も深刻な問題は宗教教育の欠如である
と訴えていました。日本の子ども達から正しい宗教教育が失われているかぎり、
これからも、人の命の尊厳が失われてゆくであろう。と述べておられました。
1980年のシカゴ会議においてダーウィンの漸進的進化論は様々な理由で、
進化論者の間で否定されています。しかし日本ではまだまだ信仰され、学校教育
においては、今だダーウィンの進化論をもってのみ、人類の誕生が説かれていま
す。
もし、偶然の積み重ねによってある日突然生命体が発生し、偶然の積み重ねに
よって進化してきたのが、私たち人間であるとするのならば、私たちの命にはな
んの意味があるのでしょうか。長い地球の歴史の中で、偶然に発生し、偶然に消
滅してゆく私たちの人間の命に、意味や目的なを見出すのは、難しくなってくる
でしょう。先ほどの、人の命の尊厳が見失われてくると、危惧していたのジャー
ナリストの方の気持ちが分かるような気がいたします。
さて、聖書では、人間の誕生について、なんと書かれているでしょうか。
旧約聖書 創世記1章27節28節にはこのように書かれています。
神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女
とに創造された。神は彼らを祝福して言われた、とあります。
神は偶然に人を造られたのではなく、神のかたちにを創造されました。そして
その存在を祝福し、喜ばれました。
私達は誰でも、神に喜ばれ、祝福されてこの世に生を受けています。そして皆、
神のみかたちを表わすため という目的をもって造られ、その目的のために、あ
らゆる祝福が与えられているのです。
そこで確認されます、人の命の尊厳は、私たちのルーツが偶然の産物であると
いう考え方からは決して生み出されることのない、豊かさをもって私たちの前に
迫ってくるのです。
(by 藤田 昌孝)