日本人的贈り物
日本の武士道について書かれていた本を読んでおりましたら、日本人の贈り物
について、次のようなくだりがありました。
アメリカでは贈り物をするとき、その品物をほめそやす。しかし日本では、そ
の品物の値打ちを軽くいったり、悪く言ったりさえする。アメリカ人の場合「よ
い品物でないものを差し上げることはあなたを侮辱することになります」という
ことになる。
これに対して日本人の論理はこうである。「あなたは立派な方です。どんな贈
り物も立派なあなたにはふさわしくありません。どうぞこの品をその物の価値で
はなく、私の感謝のしるしとしてお受け取りください。最上の品物でもあなたに
ふさわしい、といえばそれはあなたの品格を傷つけ侮辱することになるでしょう」
なるほどと思いました。そして日本人の心の機微を好ましく思ってしまうのは、
きっと私が日本人だからなのだと思います。
ところで、この日本人的贈り物の渡し方は、神様と私たちとの関係にも通ずる
所があります。神様から与えられた『救い』はあくまでも神様からの恵みの約束
であって、その約束を成立させるものは、イエス様の犠牲の十字架です。それは
神様の圧倒的な業です。
その中で私たちに求められています良き業は、あくまでも神様のご行為を、受
け止めることにしか過ぎません。ある意味で、私たちの行いがどんなに素晴らし
いものであっても、天の水準からするならば、それはいたって未熟で不完全なも
のなのではないでしょうか。
しかし、神様が私たちの不完全な行いをあわれみの内に喜んでくださるところ
に、私たちの喜びがあるのではないでしょうか。
聖書の言葉
あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、
あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。決して行いによるので
はない。それは、だれも誇ることがないためなのである。
エペソ人の手紙2:9、8です。
(by 藤田 昌孝)