無知に対する刑罰

 神はわれわれの身体を支配する法則をお作りになったのであるが、われわれの 身体の中に彼が置かれた これらの法則は神聖なものであって、この法則に対す る違反の一つ一つに刑罰が付随しており、遅かれ早かれ、これを認識しなければ ならない。

 人類が今日まで罹って来た疾病や今日も罹っている疾病の大部分は彼ら自身の 身体器官の法則について無知なために自分で生じさせたものである。人々は健康 問題に関しては無とん着のようであって、かれらは辛棒強く努力して自分自身を ずたずたに引き裂き、身心共にすっかり破壊して衰弱すると医者を呼び、死ぬほ ど薬を使ぅのである。

   誰でも無知とは限らない

 健康の問題について忠告されると「私共は、実際に行なっていることよりもは るかに良く知っている」と人々はしばしば言う。彼らは身体の健康に関する一つ 一つの光に対して責任のあることと、彼らのすべての習慣が神の検閲を受けてい ることを認識していないのである。

 肉体の生命はいいかげんに取り扱ってはならないのであって、身体の各器官、 各組織は有害な習慣から神聖に守られなければならない。

   光に対する責任

 衛生改革の光がわれわれの上に最初現れた時、またその時以来「私はすべての 事で真の節制を行っているであろうか」「私の食事は私が最大の貢献をすること ができるように助けるものか否か」との質問が毎日胸に深くひびいた。

 もしもこれらの質問に対して肯定的に答えられなければ、われわれは神の御前 に罪人とされるのであるが、それはわれわれの道に照らされた光に対して神がわ れわれすべてに責任をお与えになるからである。無知の時代は神が見過ごされた が、光がわれわれの上に照ると同時に神はわれわれが不健康な習慣を変えて肉体 の法則に対し正しい関係に自分を置くよう要求なさるのである。

 健康は宝である。世的なすべての所有物の中で、これがもっとも貴重であるの に、盛んな健康を損失して財産や学識や名誉が高く買われている。もしも健康が なければこれらのいづれも幸福を得させることはできない。

 神が与えてくださった健康を乱用することはおそろしい罪であって、たとえそ のような方法で、どれ程教育を受けても、かかる乱用は一生涯われわれを虚弱に し敗北者にするのである。

 神は彼のすべての被造物の生命の維持と幸福のために豊富に必要なものを備え てくだきったのであるから、もしも神の律法を犯すことをしないで、すべての人 が神のみ旨と調和して行動するならば、常に不幸やわざわいに会わないで健康と 平安と幸福が得られるのである。

 神がわれわれの肉体の中にお定めになった法則に注意深く服従することは健康 を保証するものであつて、身体を破壊するようなことは起らないのである。