改革者達の前列に立つ

 クリスチャンは重大な真理を取り扱っている。40年余り前に神は衛生改革の 特別な光をわれらにお与えくださったが、われわれはその光の中をどのように歩 いているであろうか。どんなに多くの者が神の勧めに従って生活することを拒ん だであろう。われわれは受けた光に相当した進歩を一団体として遂げなければな らない。衛生改革の原則を理解して、これを尊重することはわれわれの義務であ る。

 節制の問題では他のすべての人々よりもわれわれは進んでいなければならない のに、われわれの中には良く教育された教会員であるいは福音の使者でさえも、 この問題で神が与えてくださった光に対し殆んど敬意を表さない人々がある。彼 らは勝手気ままに食し、働く。

 われわれの働きにたずさわる教師や指導者達は衛生改革に関して聖書的な根拠 に堅く立ち、この地上歴史の終末時代に生存していることを信じる人々に率直な あかしをなさい。神に仕える人々と自分自身に仕える人々との間に境界線が引か れなければならない。

 「祝福に満ちた望み、すなわち、わたしたちをすべての不法からあがない出し て、良いわざに熱心な選びの民を、ご自身のものとして聖別することができるた めにご自身を捧げられた大いなる神、わたしたちの救い主キリスト・イエスの栄 光の出現を待ち望む」人々が救い主の近い出現に対して信仰のない現代の宗教家 達におくれをとってよいであろうか。

 死を見ないで天に移されるためにご自身のものとして聖別しておられる特別の 民が良い業をするのに他の人々におくれてはならないのである。

 肉体と精神のすべての汚れから自分を潔め、神をおそれて完全な聖さに到達し ようと努力する点で、かれらは世の中の他のどんな階級の人々よりもはるかにす ぐれていなければならない。それはかれらの公言することが他の人々の場合より も程度が高いのに比例してそうなのである。

   衛生改革と病人のための祈リ

 クリスチャンは潔められ、純潔さを保つために心の中と家庭の中に聖霊を宿さ なければならない。今日のイスラエル人が神の前に謙遜になってすべての汚れか ら心の宮を潔めるならば、病人のためにささげるかれらの祈りを神は聞き、病気 に対する神の治療法を行なうとき祝福してくださるのである。人間が神の備えて くださった単純な治療法を用い、疾病と戦ぅために信仰をもってできる限りを尽 すならば、その努力は神によって祝される。

 これ程多くの光が与えられた後、神の民が悪習慣を愛し育て、わがままな生活 をして改革することを拒むならば必ず罪の結果に苦しむのである。もし、どんな 犠牲を払ってでも誤った食欲を満足させようとすれば神はかれらの不節制の結果 から奇跡的に救ってはくださらない。かれらは「苦しみのぅちに伏し倒れる。」 イザヤ書50:11

 「神は私をいやしてくださったから私は食事を制限する必要がない。好き勝手 に飲食をすることができる。」と言って僭越な態度をとる者は、間もなく心身に 神の回復力を必要とするようになる。神が恵み深くあなたをいやしてくださった からと言って、社会の不節制な習慣と手をつなぐことが出来ると考えてはならな い。キリストが病人をいやされた後でお命じになったように、「今後はもう罪を 犯さないよぅに」すべきである。(ヨハネ8:11)食欲があなたの神となって はならない。