クリスチャンの競走
「あなたがたは知らないのか。競技場で走る者は、みな走りはするが、賞を得
る者はひとりだけである。あなたがたも、賞を得るように走りなさい。しかし、
すべて競技をする者は、何ごとにも節制をする。彼らは朽ちる冠を得るためにそ
うするが、わたしたちは朽ちない冠を得るためにそうするのである。」
ここに自制と節制習慣の良い結果が示されている。古代ギリシァ人の間で、か
れらの神々を崇めて行なった種々な競技を使徒パウロは霊的な戦いとその報酬を
例証するために、われわれに紹介しているのである。
これらの競技に参加することになった人々はもっとも厳しい訓練によって鍛え
られた。体力を弱めるようなすべての不節制は禁じられ、身体の強壮、堅固、不
屈の精神を増進するために、ぜいたくな食物や洒類は禁止された。
かれらが勝ち取ろうとして競った賞、すなわら、群衆の拍手喝釆する中で授け
られる朽ちる花の冠を受けることが最高の栄誉と思われていたのである。それ程
無価値な、しかも、もっとも優れた者の他に受けられなかった賞を得ようとして、
そのように忍耐が出来、自制をしたとすれば、朽ちない冠と永遠の生命のために
は更に、どれ程大きい犠牲を払い、どれ程進んで自制をすべきであろう。
われわれのしなければならない働き、すなわち厳しい真剣な働きがある。われ
われの持つすべての習慣、味覚、好みは生命と健康の法則に調和して教育されな
ければならない。この方法によって最も健康な肉体の状態を得、また善悪を識別
する頭脳の明晰さが得られるのである。
ダニエルの模範
節制の問題を正しく理解するためには聖書の立場から考えなければならない。
バビロン王宮での預言者ダニエルとそのへブルの友人達の歴史が与えている例以
上に真の節制と、これに伴ぅ祝福について包含的で有力な例は何処にも発見でき
ない。
神は何時も正しい者を尊ばれる。大征服者によって攻略されたすべての国々か
ら、もっとも有望な青年達がバビロンに進められたが、それらすべての中でへブ
ルの捕虜に匹敵するものはなかった。まっすぐな姿勢、弾力のある足取り、美し
い容貌、曇りのない感覚、汚れのない息等、すべてが良い習慣についての非常に
多くの保証であって、自然の法則に従順な者を自然が尊んでかれに与える高貴な
しるしである。
ダニエルと彼の友人達の歴史はその後の全時代を通じて青年達の益となるよう
に聖書のページに記録されたのである。人の行なったことは、また他の人も出来
るのである。かの若き青年ヘブル人達が大きい誘惑の中で堅く立ち、真の節制の
ために立派な証しを立てたのであれば、今日の青年も同様な証しを立てることが
できる。
ここに提示されている教訓はわれわれが熟考すべきものである。われわれの危
険は欠乏からでなく、むしろ豊かな状態から起こるのであって、われわれは絶え
ず度を超すよぅに誘惑される。神の御働きのために能力を損わないよぅに保ちた
いと思う者はすべて有害あるいは自分を低級にするわがままな習慣を全く禁じる
と共に、神から与えられる豊かな恵みを使用するのに厳格な節制を守らなければ
ならない。
青年達は食欲を試みるための誘惑で取り囲まれている、特にわれわれの大都市
においてはあらゆる形の不節制がしやすく、また心を引くのであるが、ダニエル
のよぅに自分を汚すことを拒む者は節制習慣の報いを刈り取る。身体はさらに丈
夫になり、耐久力も増して危機の場合に引さ出すための余力が出来る。
身体の正しい習慣は知能を優れさせる。知能力、体力寿命は不変の法則に頼る
ものであって、この問題では偶然とか不意に起こることはない。自然界の神は自
然の法則を犯した結果から人間を守るために干渉はなさらない。
「人間各自が自分の運命の設計者である」との格言には非常に立派な真理が含ま
れている。両親はその子女の教育や育成に対し、またかれらの性格の特質につい
て責圧はあるが、社会においてのわれわれの地位や有用さは、われわれ自身の行
動の進め方によって大いに左右されることもまた事実である。
ダニエルとその友人達は幼少時代の正しい育成と教育の恩恵を受けたのである
が、しかし、これらの持権のみが、かれらをあのよぅな人々にはしなかったので
ある。かれらが自分で行動をとらなければならない時期が到来した。すなわち、
自分の行動次第で将来が定まる時期である。その時かれらは小児期に与えられた
教えに忠実であることを決心した。知恵の始めである神への畏敬の念がかれらの
偉大さの根底であった。神の霊が真実な目的、崇高な決心の一つ一つを力づけた