神の恵み
あるお店で、有名なテニスシューズが、なんと半額で売っていました。私はテ
ニスシューズを探していましたので、迷わずそれを買いました。
「良い買い物ができました、神様ありがとう。お店の方にも感謝します」と、気
持ちよくお店をでました。
ところが、数日後、別のお店で、同じ靴が売られていました。おそるおそる、
値段を見ますと、なんと、さらに安くなっているではありませんか。あの日、神
様とお店の方に捧げた感謝はどこへ、やら。
聖書にも似たような話が載っています。ぶどう園のたとえです。
働く人たちが、朝の6時ごろでしょうか、一日一デナリの約束をして、ぶどう園
に送られます。1デナリというと、約50円 当時1日過ごすにぎりぎりの賃金で
した。
しかし、朝一番で仕事がもらえたということは、今日一日生きることができる
ということです。
一日の労働時間が後1時間で終わろうとするとき、ぶどう園の主人はさらに働
き人を雇います。 収穫が遅れると、ぶどうが腐ってしまうからです。
主人はやさしい人でした。1時間しか働かないその人にも、1日過ごせるだけの
賃金として、1デナリを払います。
おもしろくないのが、朝から働いていた人たちです。気持ちはわかります。一
日働いた者と1時間しか働かなかった者と同じ賃金なのですから。しかし、1デ
ナリの約束で、雇われたのですから。文句は言えません。
主人は言います。「あなたとの1デナリの約束は守りました。それともわたし
が気前よくしているので、ねたましく思うのですか」。
このたとえ話は神様のお用いになる「恵み」という方法を良く表しています。
神様は私たちの行いに応じて救いを与えようされるのではありません。恵によっ
てお与えくださるのです。
私がどのような者であっても、その救いを受け入れさえするならば、救われる
のです。ある人にはそれは気前が良すぎると感じられるかもしれません。しかし、
その人は気がついていないのです。実は自分がその最後一時間の労働者であるこ
とを。
(by 藤田 昌孝)