ためらう者への訴え

 健全な主義原則に対する不服従は神の民の歴史を傷つけた。衛生改革において 退歩を続けて来たことが霊性に非常な欠乏を来たし、その結果神は恥を着せられ ておられる。神の民が光の中を歩んでいたならば決して生じなかった筈の種々な 障害をかれらは起して来た。

 これ程大きい機会に恵まれていたわれわれが、衛生改革で社会の人々に負けて 良いであろうか。誤った食事によって、われわれの頭脳を低下させ、才能を乱用 してよいであろうか。利己的な習慣にならって神の聖い律法を犯してよいもので あろうか。われわれの矛盾が物笑いとなり、また救い主がわれわれを兄弟と呼ぶ ことを恥となさるような、クリスチャンらしくない生活をしてよいであろぅか。

 むしろ神の平安がわれわれの心を支配できるような生活をして、実際的な福音 である医事伝道の働きをしようではないか。キリスト教の信仰告白に対する当然 の責任をおぼえ、未信者の足許からすべてのつまづきの石を除こうではないか。 クリスチャンの告白をしながら、汚れた情欲を強めるような食欲に溺れるよりも クリスチャンの名を捨てた方がはるかに良いのである。

 神は教会員の一人一人に、その生涯を全く神のお働きにささげ、断乎とした改 革をするように求めておられる被造物は皆呪いの下でうめき苦しんでいる。神の 民は頁理で肉体と心も霊もさよめられて、恵みの中に生長するような立場に自分 を置くべきである。健康を害するすべての不節制から離れるとき、真の敬神がど れだけのことを意味するかを、もつと明瞭に認識するようになり、おどろく程の 変化が宗教経験に見られるよぅになる。

  すペての人が試みられている

 われわれが個人的に自分の責任を良く果し、健康を保つために何を飲み、何を 食し、いかに生活すべきかについて賢明な理解を持つことは非常に重要である。 すべての人が衛生改革の原則を受け入れるか、あるいは欲に耽溺した道を歩むか を見るために試みられている。

 誰も食事の問題で好き勝手にできると思ってはならない。あなたはあなたと共 に食卓につくすべての人の前で神の栄光の現われるために、他のすべての問題の 場合と同じく食事の問題でも原則に従ぅことを示しなさい。未来永遠の生命のた めに品性を形成しなけれはならないのであるから、そうしないわけにはいかない のである。大きい青任が人間各自に負わされている。これらの責任を理解し、主 のみ名によって立派にこれを負って行こう。

 食欲に溺れるように誘惑される各自に「誘惑に負けないで健全な食物だけを用 いるように」申し上げたいと思う。健康酌な食事な楽しむように自分を訓練する ことは出来るのである。神は自分で努力しょうとする人々を助けてくださるが、 人が神のお考えやご意志を実行するために特別努力もしないのにどうして神がか れらと協力すろことが出来ょうか。

 われわれは自分の責任を果し、恐れおののいて自分の救いの達成につとめよう。 すなわち神の前に出来る限り最高の健康状態に保つ義務のあるわれわれの身体を 誤って取り扱ぅことがないように恐れおおのいて自分の立場を尽そう。