父の思い

 新約聖書には、イエス・キリストがお話になった、放蕩息子のたとえ話があり ます。

 ある日息子が父親に言います。『お父さん、財産のうちでわたしがいただく分 を今ください』。父親がその子に分け与えると、数日後、息子は、自分のものを 全部とりまとめて家を出ます。そして飲めや歌えやの日々の末、放蕩に身を持ち くずしてしまうのです。

 豚飼いをしながらも、やがて息子は本心に立ちかえります。「父のもとへ帰え ろう、そして、こう言おう、お父さん、わたしは天に対しても、あなたにむかっ ても、罪を犯しました。もう、あなたのむすこと呼ばれる資格はありません。ど うぞ、雇人のひとりにしてください』」と。

 誰よりも、息子の帰りを待ちわびていた、父親は、遠くの方からやってくる息 子の姿をいち早く見つけます。走り寄り、愛する息子を涙ながらに抱きしめるの です。

 むすこは用意していた言葉を述べます。『お父さん、わたしは天に対しても、 あなたにむかっても、罪を犯しました。もうあなたのむすこと』父親はその言葉 をさえぎるようにして、雇い人を呼びます。「さあ、早く、最上の着物を出して きてこの子に着せ、指輪を手にはめ、はきものを足にはかせなさい。盛大に祝宴 をしよう。死んでしまったと思っていた息子が帰ってきた。さあ、喜び、祝おう ではないか」

 このたとえ話のテーマは、父親の喜びです。失ってしまったと思っていた我が 息子が帰ってきたときの父親の思いがこのお話の主題です。

   父なる神様の第一の願いは、天のお父様のもとに立ち返ることです。

 もっと、強い確信、もっといい機会、あるいはもっときよめられた性質を持つ までなどと、待ってはなりません。神の子供である私たちが、どんなことがあっ ても、どんなに罪を犯したとしても、いつでも、どこにいても、ありのままの姿 で、父なる神様のもとに、立ち帰り、祝っていただくこと、天のお父様のもとに 立ち返ること、それが父なる神様のおおいなる喜びなのですから。
(by 藤田 昌孝)