真の改革は心の改革

 神のお働きに携わる人々は世俗的な満足や利己的な放縦を求めていてはならな い。われわれの病院の医師達は衛生改革の生きた原則が浸透していなければなら ない。キリストの恵みが心中に常に宿っている要素とならなければ人は決して真 実に節制の人とはならない。どれ程誓約しても、それはあなたもあなたの妻をも 衛生改革者にはしないのである。単に食事を制限してもあなたの病的な食欲をい やすことはない。某兄弟姉妹は心が神の恵みによって変化しなけれはすべてのこ とで節制を実行することはないのである。

 周囲の事情が改革を起こさせることはできない。キリスト教が心中に改革を意 図させるのであって、キリストが中で働かれることが、改まった知性の指図のも とで外に実行されるのである。外から始めて中に向ってする努力はいつも失敗に 終わり、またいつも失敗するであろう。神のあなたに関する計画はすべての問題 の一大中心である心から始めることであって、そうするならば正しい主義原則が 心の中から出て来るようになり、改革は内にも外にも向って行なわれるのである。

 聖書と神の霊のあかしを通して神が与えてくださった光に従い出来る限り標準 を神のご命令通りに高める者は神の賢明な取り計らいに反して生活をしている知 人や親戚の希望、例え、それが一人、二人、あるいは多数の希望であっても、そ れに応じるために自分の行動の方針を変えることはしない。もし、われわれがこ れらのことで原則によって行動し、厳格な食事の方法を守り、クリスチャンとし ての神のご計画に従って自分の味覚を教育するならば、神のみ旨にかなぅ感化を 他に及ぼす。問題は「我々が真の衛生改革者となる意志があるか否か」と言ぅこ とである。

 多くの人々が衛生改革の主義原則に対する以前の忠誠さから退歩したので、ク リスチャンすべてに衛生改革問題でメッセージを与えられている。

 神の子等に対する神の御目的は、かれらがキリストの中にあって成長し、完全 な身の丈の男女となることであるが、そうするためには頭脳と心と体のすべての 能力を正しく用いなければならない。少しでも知力や体力を無駄にする余裕はな いのである。

 健康維持に関する問題は第一に重要な事の一つである。敬けんな態度でこの問 題を研究するとき、単純な食事をすることが肉体の成長発育のためにも霊的な進 歩発達のためにも最上であることをわれわれは学ぶのである。忍耐づよく、この 問題を研究しよう。この事で賢明に行動するにめには知識と判断が必要である。 自然の法則は抵抗すべきものではなく服従すべきものなのである。

 肉類、茶、コーヒー、また濃厚で不健簾な食品を使用することの害につき教え られ、不健康であるとわかっている食物への食欲をはしいままにしつづけること はしない.神は食欲がさよめられ、良くないこれらの食物に対して自制すること を要求なさるが、これは神の民が完全な人々として神の前に立つことができる以 前になされなければならない働きである。

 神の残りの民は改心した人々でなければならない。そして、このメッセージを 与えることが人々の改心と清めを来たすのである。われわれはこの運動の中に神 の霊を感じなければならない。これはおどろくべき明白なメッセージであって、 これを受ける者にとっては、これ以上大切なものはないのであるから大声で宣べ 伝えられなければならない。われわれはこのメッセージが益々重要性を増して宣 べ伝えられ、終わりの時にまで至るという変わらない真の信仰を持たなければな らない。

 あかしの書のある箇所は、神のメッセージとして受け入れるが、自分の好む不 節制をとがめる箇所は拒絶する自称信者達がある。そのような人々は自分自身の 幸福のためにも教会の安寧のためにも反して働いている。光のあるうちに光の中 を歩むことは絶対必要事である。衛生改革を信ずると言いながら日常の生活習慣 で、その原則に反して行動する者は自分自身の魂を傷つけ、また信者、未信者の 心に誤った印象を残しているのである。

 真理を知っている人々は、行動がすべてかれらの信仰と一致し、生活が改善さ れ、きよめられ、使命宣伝の終結する今日急速に行われなければならない働きに 備える厳粛な責任が負わされている。食欲に溺れている時間も力もない。「だか ら、自分の罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて本心に立ちかえりなさ い。それは、主のみ前から慰めの時が…・くるためである」(使徒行伝3ノ1 9)。われわれの中には霊的に欠乏し、全く改心しなけれは必ず滅びてしまう人々 が多い。あなたは危険を冒す余裕があるであろうか。

 天国でキリストと共に新しい生活をおくりたいと願う者が皆経験しなければな らない心と頭脳の変化を来たし得るものはキリストの力だけである。

 「だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」(ヨハネ3ノ 3)と救い主は言われた。神から出ている宗教が神に導くことのできる唯一の宗 教である。正しく神に仕えるために、われわれは神の霊によって生まれなければ ならない。そうすることによって、注意深くなり、心が純潔になり、精神は新た にされ、神を知り愛する新しい能力が与えられる。それはわれわれを神のすべて のご要求に喜んで従うように助けるのであって、これが真の礼拝なのである。