二人の友人

 二人の友人という寓話があります。

 1人の友人は、自己中心的でひどい人でした。人が彼に近づくと、彼は必ず嫌 味を言って、相手をその言葉によって傷つけます。刃物のような人です。ですか らほとんどの人は、けっして彼に近づこうとはしません。

 もう1人の友人は、なんと、そんな刃物のような彼に近づき、親切にする、心 優しき友人です。しかし、彼に近づき、親切にするのですが、そのつど、傷つけ られ、馬鹿にされ、痛めつけられます。回りの人々は、「もう、あいつには近づ かない方がいい」と忠告するのですが、心優しき友人は、傷つきながらも、馬鹿 にされながらも、彼に関わろうとします。

 とうとう、優しい友人は、深く心に傷を負い、入院をしてしまいます。しかし こともあろうに、自己中心的なあの友人は、病気の友に向って、いい気味だと、 罵倒を繰り返すのです。

 ところがある日、このひどい友人は、ギャンブルとサラ金で億単位の借金を抱 えてしまいます。すると、心優しき友人は、病室から手配をして、自分の父親の 山を売り、多額の小切手を彼に渡すのです。

「よけいなことをしやがって、でも、もらってやるか」と、小切手を手にした彼 は、なんとそのお金をふたたびギャンブルに使い、失ってしまいます。心労と、 失意のため、心優しい友人は、病床で1人寂しく、息を引き取ります。

 この心優しい友人はイエス・キリストを表しています。そしてあの自己中心的 なろくでなしは、私であり、あなたであったかもしれません。

 イエス・キリストは私たちを救うため、私たちの罪を負って十字架につけられ ました。それによって、私たちは、一度死んでも、復活し、再び永遠の命を得る ことが赦されています。

 あの寓話と私たちのただ1つ違うこと、それは、私たちは、いただいた小切手 をドブに捨てるようなことはしないということです。それをもって借金を返した ということ、イエス様の十字架を信じて、永遠の命をいただいたということです。
(by 藤田 昌孝)