ゲームのコマーシャル

 最近、神戸有野台教会でもたれましたアドベンチスト病院の医師による講演会 が開かれました。山形謙二意志のメッセージの中で、次のような例話が話されま した。

 これは、朝日新聞に載った、イギリスのCM、2002年のカンヌ広告映画祭 の入賞作ということでした。

 産科の分娩室で、分娩中の妊婦がいる。するとそこから赤ん坊が生まれ出てき た。すごいうなり声とともに、スポーンとシャンパンのコルク栓のように赤ん坊 が飛び出してきた。その赤ん坊は病院の窓ガラスを突き破って飛んでゆく。

 野を越え山を越え森を越え飛びながら、赤ん坊は少年へ、そして青年へと成長 してゆく。そして中年、最後は老人となって、墓場に置かれた棺桶にドカンと突っ 込んでしまった。最後に2行の字幕が出てくる。人生は短いもっと遊ぼう

 これは、エックスポックスというテレビゲームのコマーシャルです。人生は短 い、たしかにそうかもしれません。最近、私の身近に幾人もの愛する兄弟姉妹が お亡くなりになりました。悲しい経験です。しかし同時に私たちがイエス様を信 じ、永遠の命を約束された復活信仰に生きる者であることに感謝しました。

 もし、私たちの人生がこのゲームのコマーシャルにあるように、ただ単に赤ん 坊から老人にすごいスピードで向ってゆく短い飛行であるならば、ましてやその 目的が遊ぶことであるならば、私たちの人生はなんとむなしいことでしょう。

 しかし、私たちの人生は神様によって備えられた永遠の命の始まりです。その 人生には永遠の意味と意義、目的が与えあれています。

 マタイ15:30、31に次のような記事がのっています。「大ぜいの群衆が、 足、手、目や口などが不自由な人々、そのほか多くの人々を連れてきて、イエス の足もとに置いたので、彼らをおいやしになった。群衆は、口のきけなかった人 が物を言い、手や足が不自由だった人がいやされ、盲人が見えるようになったの を見て驚き、そしてイスラエルの神をほめたたえた」。

 私たちの足や手は、主のお役に立ちたいと思いつつ、他者や家族の役に立ちた いと思いつつ不自由を感じてはいないでしょうか。

 私たちの目は目先のものばかりにとらわれて近眼になっていなでしょうか。ま たは遠くのことばかりに目が奪われて、今しなければならないことが見えないで いる遠視になってはいないでしょうか。神様のみ業が見えないでいる目、感謝す べきことにふさがれている目になってはいないでしょうか。

 私たちの口は不平不満、裁き、悪口ばかりに用いられてはいないでしょうか。 感謝の言葉、人を励ます言葉、いたわりの言葉が自由に語れているでしょうか。

 果たして、主は私たち一人一人をお癒しになります。ゆっくりと腰を下ろして、 不自由な私たちに自由を与えるために、癒してくださいます。それは、本来私た ちに与えられています永遠の命の目的にそくしての癒しです。天国で私たちが謳 歌する命の意義に照らされた変化です。

 永遠へ向っての私たちの人生は確かな目的と意義が与えられながら、主イエス ・キリストに導かれ手行くのだと思います。
(by 藤田 昌孝)