冷たい便座と温かい便座
のっけから便座のお話もなんですが、1月2月の寒い季節、洋式の便座に座っ
たとき、「ヒヤっ」という冷たい陶器の感触に驚かされた経験は誰でもあると思
います。
今では、ヒーターの入った便座もありますが、教会では、毎週、きれいに洗濯
されたフサフサのカバーが便座に付けられています。これをしますと、あのヒン
ヤリとした冷たさはなくなり、安心して座ることができます(ホッ)。
ところで、皆さんは、あのヒンヤリとした陶器の便座と、温かそうなカバーの
かけられた便座との、表面の温度がほぼ同じであることをご存知ですか?あのヒ
ンヤリとした陶器と温かなカバー、それぞれの表面温度はほぼ同じなのです。
では、なぜ、陶器は冷たく感じ、カバーをつけると温かく感じるのでしょうか。
それは、熱の伝わり方に原因があります。陶器は、熱の伝わり方が速く、接触
した皮膚の温度をただちに吸収してしまいます。ですから、皮膚から熱が奪われ、
「ヒヤっ」と感じるのです。
しかしカバーを付けますと、そこはやわらかい毛で覆われていますので、熱が
なかなか吸収されません。ですから、皮膚の体温が保たれ温かく感じるのです。
人間にも、「冷たく感じられる人」と「温かみのある人」がいます。「冷たく
感じる人」とは、ひょっとすると、「得ること」ばかりを考えている人なのかも
しれません。自分を中心に物事を考え、自己を満足させることを中心にした生き
方に、人は時として冷たさを感じるものです(私自身、反省します)。
一方、「温かみのある人」は相手の持っている体温を尊重してくれる人です。
「得る」ことよりも、「与える」ことを人生の目的として生きている人なのでは
ないでしょうか。
与えるために生きる
マタイによる福音書4章には、イエス様がバプテスマのヨハネが捕らえられた
ことをお聞きになって、ガリラヤでお働きを開始されるくだりがあります。イエ
ス様はまず4人の漁師を弟子にされた後、ガリラヤ中を回られて、諸会堂で教え、
御国の福音を宣べ伝え、民衆のありとあらゆる病気や患いをお癒しになりました。
さて、さっそく弟子となったペテロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネはその様子を
見て何を思ったでしょう。「これはすごい、自分の病気をはやく治してもらおう。
これで、いつ病気になっても大丈夫!」と思ったでしょうか。
そう言えば、福音書の中に、弟子たち自身の病気が癒されたという記述は見当
たりません(私の記憶では)。 弟子たちは、イエス様の癒しの業を見ていて、
ひょっとすると、「自分たちもイエス様のように、人々の苦しみや悩みを癒して
さしあげたい」と思ったかもしれません。
実際に、その後の12人の弟子たちは、イエス様に
「病人をいやし、死者を生き返られせ、おもい皮膚病を患っている者を清くし、
悪霊を追い払いなさい。ただでうけたのだから、ただで与えなさい」。
と命ぜられています。
イエス様が公生涯に入られてからすぐになさったこと、それは、自分の時間を
人々のために使ってゆく事、自分の人生を他者のために用いる事でした。
「天国は近づいた」という宣言は、救い主の到来、罪の赦し、永遠の命の宣言
と同時に、「得るために生きる」という古い生き方から、「与えるために生きる」
という新しい生き方への転換、新しい生き方の到来を告げていたのかもしれませ
ん。
(by 藤田 昌孝)