特別な責任と牧師の受ける誘惑

 食欲の点で勝利する厳粛な責任がすべての人に課せられているが、特に真理を 教える牧師たちに負わせられている。かれらの有用性は、かれらの食欲と情欲を 制するならばはるかに大きく、知能力や道徳力は、肉体労働と精神活動とを共に 行えば更に強くなるのである。

 厳格な節制習慣と、精神およぴ肉体労働を兼ね行ぅことによってはるかに大量 の働きを遂行でき、頭脳の明晰さを保つことができる。このような生活をしてい くならば、かれらの思想は、もっと自由に湧き、言葉は流暢になり、宗教活動は 活気づき聴衆に与える印象も更に明瞭になる。

 正しい質の食物でも不節制に食すことは身体組織をひどく疲労させ、鋭敏な、 清い情緒を鈍らせるものである。

 ある人々は集会等の時のために全く不適当な濃厚なケーキやパィやその他、健 康な労働者の消化さえも乱すような種々様々なご馳走をキャンプ場に持って来る。

 勿論、牧師のためには地上のご馳走でも良過ぎることはないと皆思うので、そ のようなものを牧師の食卓におくり、あるいはかれらを自分たちの食事に招く。

 このようにして牧師は過食したり、有害な食物を食するように誘惑されるので ある。そのために集会でのかれらの実力は減じるのみでなく、多くの者が胃病に なる。

 牧師は、このように好意であつても賢明でないもてなしを、たとえ失礼と見ら れる危険をおかしても辞退すべきであるが、人々はほんとうの親切をわきまえて、 そのような選択を牧師に強いないようにしなければならない。

 不健康な食物で牧師を誘惑する時、かれらは誤ちを犯す。このようにして貴重 な才能は神のみ働きから失われ、多くの人は生きてはいるが、かれらの諸機能の 活気も力も半滅するのである。牧師は他のすべての人々にもまして脳と神経の力 を集約しなければならない。

 神経を刺激、興奮させる傾向のあるすべての飲食物を避けるべきである。興奮 した後には抑鬱状態が起り、過度の不節制が頭脳を鈍らせ、思考を困難にし、混 乱させる。

 誰でも食事の習慣で厳格な節制を守るまでは霊的なことで成功する働き人には なれない。健康的な食事の仕方を知りながらなお心身を弱めるような習慣をつづ ける人々に神は聖霊をお宿しにはなれないのである。