ファシリテーター
ファシリテーターという言葉があります。ファシリテイトfacilitateとは、容
易にする、励ます、楽にするという意味です。ファシリテーターとは、促進する
人、講師、励ます人、その道を楽にしてあげる人、その障害を乗り越えることを
助けてあげる人のことを言います。
以前私は、教会の青年大会で、青年たちと千葉の海に出かけました。年甲斐も
なくボディーボードをしましたところ、偶然うまく波に乗れてしまいました。調
子にのった私は、何度も波乗りに挑戦していました。
ところが、突然大きな波にのまれてしまいました。波にのまれた私は、思い切
り海底に顔を打ち付け、首をひねってしまいました。「メリメリ」と音がするの
を聞きました。「しまった」と思いました。それから首の痛みが徐々に激しくなっ
てきました。
次の日、病院に駆け込みました。「先生、大丈夫でしょうか?」不安げな私に
向かって先生は、「手はしびれますか?しびれない。レントゲンを見ても、大丈
夫ですよ、そのうち痛み、もとれるでしょう」。ほっとした私はそれまでの心配
がどこへやら、それまでの痛みが半減したようでした。
まさにこの先生は私にとってはファシリテーターでした。その道に疎通してい
る方、先を見通して今の痛みの向日を見ることができる方。そのことを知らせ、
人を励ますことのできる方でした。
そのような意味では、イエス様は私たちの最も頼りになるファシリテーターで
す。私たちと同じ試練に会われ、私たちの気持ちをご理解され、その試練の向日
にある希望を明らかにすることのできるお方です。
このお方は時期にかなったアドバイスをすることができます。この方は、今あ
なたがどこにいるのかを教えてくれます。今、起こっていることには、意味があ
ること、怪しんではならないこと、不信仰に陥ってはならないことを教えて下さ
り、励ましてくださる方です。
「私も以前はそこにいました、あなたが今いるその場所にいました」言えること
のできる方です。そして「その先には希望があります、決して失望に終わること
がありません」と言えることのできるお方です。
「わたしの子よ、主の訓練を軽んじてはいけない。主に責められるとき、弱り果
ててはならない。主は愛する者を訓練し、受けいれるすべての子を、むち打たれ
るのである」。あなたがたは訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを、子
として取り扱っておられるのである。いったい、父に訓練されない子があるだろ
うか。だれでも受ける訓練が、あなたがたに与えられないとすれば、それこそ、
あなたがたは私生子であって、ほんとうの子ではない。その上、肉親の父はわた
したちを訓練するのに、なお彼をうやまうとすれば、なおさら、わたしたちは、
たましいの父に服従して、真に生きるべきではないか。肉親の父は、しばらくの
間、自分の考えに従って訓練を与えるが、たましいの父は、わたしたちの益のた
め、そのきよさにあずからせるために、そうされるのである。すべての訓練は、
当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後に
なれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。
(ヘブル人への手紙12:5〜11)
(by 藤田 昌孝)