もうけものの人生

 私が小学校の教師をしていた頃の教え子が高校生になって、口の中に黒色腫と いう癌ができて、絶望と告知されました。

 彼は、神様にいただいた命ですから、いただくのも、とられるのも、神様次第 ですとそのことを受けとめます。全国の方々の祈りの中で、彼は完全にいやされ ました。彼はその後、僕の命はもうけものの命だから、神様のために生きたいと 言っていました。

 私たちも、本来、バプテスマを受けて、一度死んだ者です。つまりゼロから出 発です。

 それは、足し算の生き方です。もともとはゼロですから、もうけものの人生、 だめもとの人生。失敗しても、もともと、ゼロです。ですから、クリスチャンの 人生はもうけものの人生、足し算の人生です。

 何もなくとも、もともとゼロですから後は増えるしかありません。あれもでき た、これもできた。一つ一つが大切に思えてきます。小さな事柄に感謝が生まれ てきます。

 しかし、クリスチャンでも、ついついそれを忘れちゃって、いつの間にか、当 たり前の人生になったきたりします。そうなると、ぶつぶつ、くよくよ、文句ば かり言い始めます。いつまでも悔やんでばかりになります。

 「また、失敗しちゃった。本当は私、こんなんじゃないないのに、こうあるべ きなのに、あの人が悪いのよ、まったくも」という具合に、当たり前の人生は、 引き算です。

 当たり前の人生は、全てができて当たり前ですから、朝起きてから、どんどん 引かれてゆきます。あれもできなかった、これもできなかった。夜ねるときには、 もう、すっかりマイナスで、後悔ばかり。

 一方、もうけものの人生は、反対です。朝起きてから、ひたすら足し算です。 あれもできた、これもできた。あの人のために何ができるかなー。できなくて、 だめもとだから、小さなことがプラスになります。

「今日も神様、こんなにプラスをありがとうございました」と床に着くのです。

 わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬ のです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。ローマ14:8
(by 藤田 昌孝)