キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きている人にも主となられ
るためです。ローマ14:9
死者の主
この地上で生きている間、私たちはいろいろな主人を持ちます。しかし、そう
いう主人は決して死者の主人とはなれません。
私ごとですが、私の父は、私が神学生の時に亡くなりましたが、亡くなる数日
前、まさか父親が亡くなるとは思っていなかった私は、その頃学生文書伝道といっ
て、神学生をしながら、良い本を売って家々を訪問していました。
ついでに、父親にプレゼントということで、健康に関する本を父親にプレゼン
トすることを、千葉の大多喜から、横浜に住む父に電話で知らせました。
そのとき、父親は、「健康の本か、もっと霊的な本、神様の本がいいなー。」
と言いました。父親はひょっとすると、自分の死期をうすうす気付いていたのか
もしれません。自分の死を目前にしている者にとって、身体の健康ということは、
もはや主人ではなりえなかったのです。
父親にとって、本当の主人となりえたのはイエス・キリスト様だけでした。
アメリカの知的社会において最も影響力のある学者の一人と呼ばれています、
ピーター・バーガーという人がいます。この人が次のような事を例として、現代
人の神についての問題を書いています。
それは、真っ暗な夜。悪夢にうなされた子供が目を覚ますと、今まで周りにあっ
たものが見えません。恐ろしくなった子供が悲鳴を上げます。
そこへ、お母さんがやってきます。まず、電気をつけ、子供に話しかけます。
「大丈夫、大丈夫、怖がらなくてもいいのよ。みんなちゃんとしているでしょ。
おやすみなさい。」
しかし、ピーター・バーガーはこのように、問い返すのです。
「しかし、本当に大丈夫ですか?世界はそんなにちゃんとしていすか?本当に、
人生はそんなに安心できるものですか?子供が暗闇の恐ろしさを感じ、怯えるの
は本当は、人生の真実の姿ではないのでしょうか?母親はそれを大丈夫という。
母親は、嘘を言っているのではないでしょうか」
「この子の人生にも多くの困難と恐怖が待ち受けているかもしれませんよ。混沌
とした暗闇がこの子の人生を洪水のように襲いかかるかもしれませんよ。いずれ
にしても、この子はそのうち、自分自身の死という決して避けることのできない
絶望と恐怖に直面しなければならないのですよ。その人生にこの子は本当に耐え
ることができるのですか?」
そしてピーター・バーガーは続けます。
「もしも母親の言うことが嘘ではなく、本当であるとするならば、神が存在して
いるから、大丈夫なのだと言わざるをえない」。
私たちの人生には、時として、暗黒が襲うようなときがあります。嵐が吹き荒
れ、混沌と無秩序、なんでこんなことが、ということが、ほえたける獅子のよう
に、私たちを襲い来ることがあります。
しかし、主イエス・キリストはどこにいますか?そこにおられます。死者の主
であられるイエス様は、死がまるで暴君のように荒れ狂っているようなその場所
におられます。
そして主は、その場所をご支配され、必ずや、それを打ち破るお方であるとい
うことを私たちは信仰を持って捉えているのであります。
本当の主人とは人が死を迎えたときに、救って下さる方でなければなりません。
この聖書に書かれているとおり、「死者の主」でありえるお方が本当の主です。
そして、死者の主であり得るお方こそが、生者にとっても真実の主となりえる
のです。
(by 藤田 昌孝)