ていねいに生きる

 今週、ある小グループの中で、「神様と共に生きるとはどういう感じですか?」 という質問を受けて、次のようにお話致しました。

 「神様がご計画されていることを、ていねいに辿って行くということでしょう か、勝手にあきらめて投げやりになってはならない、しかし力んで自分が先行し てもならない、淡々とていねいに為させていただく」。

 つねひごろ感じていることをお話しさせていただきました。

 偶然、数日後に上記の感覚とよく合っている詩を柏木哲夫先生の本の中に見つ けました。ミシェル・クオストという社会科学者の書かれた「主、時間はありま す」という詩です。

「…主よ、あなたは時問を超えていらっしゃるからわたしたちが時間と苦闘して
いるのをみて、にっこりなさいます
あなたはご自分でなさっていることがおわかりだから
あなたがなさった時間配分に狂いはないでしょう
あなたはわたしたちに、ひとりひとりそれぞれに
あなたがお求めになることをする時問をお与えになりました。
だからわたしたちは、時問をむだに使ってはならないし
時間を浪費したり、時間をつぶしてはならないのです
時間はあなたからの贈り物だからです
しかも滅びゆく贈り物、保存のできない贈り物なのです
主よ、わたしには時問があります、たくさんの時間が
あなたがわたしにくださった時間はすべて
わたしの人生の年数も
わたしが生きる年月の日数も
わたしがすごす日々の時問数も
それらはすべて、わたしにくださったものです
だから、わたしのなすべきことは、しずかにおだやかに完全にみちあふれるまで
いっぱいにすることです
そしてその味気ない水のような時間を
あなたは、かつてガリラヤのカナでなさったように濃いぶどう酒にかえてくださ るでしょう。
主よ、わたしはこよい
あれをする時間、これをする時間がほしいとは言いません
あなたがわたしにくださった時問の中で
あなたがわたしにせよ、とおっしゃったことを
心しずかに行なうことのできる恵みを
ただそれだけを、あなたからいただきたいのです」。

この詩の解説というかたちで、著者は数行の文章を書いています。

「たいていの人は時間がないといってこぼす。それはあまりにも人間的に自分の 人生をみているからだと思う。神がわれわれに要求なさることをする時間は、い つでもある。しかし、その要求なさる瞬問に、われわれはすっぽり自分を投げ込 まねばならない」

 いかがでしょうか。私はこの詩の、「わたしのなすべきことはしずかにおだや かに・・・」という箇所と、「あなたがわたしにせよ、とおっしゃったことを心 しずかに行なうことのできる恵み」という言葉が好きです。

 ミケランジェロは彫刻をするときに、「私は、木の中にすでにある物をただ掘 り出すだけだ」と言ったそうです。私も神様から与えられた人生を、ていねいに 掘り出させていただけたら素晴らしいのに、と思わされます。
(by 藤田 昌孝)