すべてを受け入れる
飯 謙という方が、『イエスの誕生』(キリスト新聞社)という本の中で、花
造り名人のお話をご紹介しておられました。この方は奈良県の方で、視力を失わ
れながらも、「花造りの名人」という称号を得られています。
50代の方で、若いときに視力を失われました。ほかにもご家庭の問題などい
ろいろ困難を抱えながら歩んでこられたそうです。
やがてシクラメン造りを生業とされるようになり、賞を受けるほどになりまし
た。盲目の方でありながらも、外国に行って花を研究され、研修を積み重ねてお
られます。
花の香りからその花がどのような花であるかを思い巡らすことができるのだそ
うです。どのような肥料を、どういう具合に与えたかもわかるそうです。
そしてこの方がたいへん面白いことを話されました。
「見える人は、自分の見たいものしか見ない。しかし、自分は、全盲になって、
すべてを受け入れるところから始めるようになった」。
必要なところ、都合のよいところだけでなく、すべてを受け入れるしかなく、
やがて、花造りと向き合うことになったということです。
花には心や、その人の生き方が現れるそうです。たとえば、儲けに走ると、そ
ういう花ができるのだそうです。ご本人にも紆余曲折がありながらも、今は、幸
せな家庭作りのお手伝いをしたいと願っておられるそうです。
多くの人と、喜びあえる花造りをしたい。様々な経緯があったけれど、憎しみ
のためではなく、幸せのために貢献できたらと思っておられます。そのようなイ
メージで花造りをされています。
「見たいことしか見ない」ところから、「すべてを受け入れる」姿勢へと移るこ
とになって、行き着いたところは喜びを分かち合うための花造りとなり、そして
賞までいただけるようになったということです。
神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益と
なるように共に働くということを、わたしたちは知っています(ローマ8:2
8)。
私たちが毎朝、イエス様にすべてをおゆだねして、「イエス様、今日も私のす
べてを所有してください。すべてをもってイエス様の御用にご利用ください」と
お祈りするならば、私たちの一日のプラスもマイナスもすべて万事が神様にあっ
て、益に変えられるということです。
正月、人々は「あけましておめでとう」とご挨拶をします。新しい年を迎える
にあたって、忘れてはならないと思うことの一つは、人間的な喜びに耽溺しては
ならないことだと思います。
「今がどんな悪い時代であろうとも、そんなことは忘れてしまおう、すくなくと
も今日はお正月なのだから」。これは単なる幻想です。後になって幻滅を生むだ
け。
7日も過ぎれば、単に現実から逃げていた自分を見出すにすぎません。私たち
は現実をしっかりと見据えて、イエス様のご再臨が近いことを知りながら、真理
の帯をしっかりとしめる必要があります。
そしてもう一つは、不幸な現実や、抱えている問題に心を奪われ、また将来予
想される不安によって、新年の喜びを打ち壊してはならないといことです。また
一年、ご再臨が近づいたこと、真の喜びが近づいたことを喜び、イエス様の偉大
な力を信じイエス様を喜び、イエス様を語らなければなりません。
たしかに私たちは様々な課題や問題を抱えます。しかし都合のいいこともそう
でないことも含めて全てを受け入れ、それをイエス様に用いていただくとき、私
たちの人生も、なかなかどうして、捨てたものではなくなります。万事が益と変
えられ、私たちの家庭が私たちの働きが変えられ、豊かなものへとされてゆくの
です。
(by 藤田 昌孝)