自分を愛してくれる人がいた
次のような実話があります。タイの難民収容所での小さな、しかし偉大な出来
事です。一人の、衰弱しきって一言も口にせず空を見つめたままの子がいました。
病気もいくつか持って、食物も受け付けませんでした。医師団は打てるだけ、
手を打った後サジを投げざるを得ませんでした。「衰弱して死んでいくだけしか
残っていない。可愛そうに・・・・」子は薬も流動食も受け付けませんでした。
ピーターというアメリカ人青年がテントで働いていましたが、医師がサジを投
げたその時からその子を両手でしっかりと抱いて座り続けたのです。二日二晩、
全身を蚊に刺されても動かず、その子を抱き続けました。
三日目になりました。ふとピーターが気付くと、その子はピーターの目をじっ
と見つめているのです。そしてピーターがそのことに気付いた瞬間、ニコ・・・
その子が力なく微笑んだのです。
「自分を愛してくれる人がいた。自分を大事に思って、全身で受け入れてくれる
人がいた。自分は誰にとってもどうでもいい存在では決してなかった・・・・」。
きっとそのような思いが、その子の微笑を生み出したにちがいありません。
か弱い笑みではありましたが、しかし生きる希望を感じさせるに十分な微笑み
でした。ピーターは涙が出て止まりませんでした。彼は喜びと感謝のあまりに、
その子をしっかりと抱きしめながら泣きつづけたのでした。
子どもは食事を取り始めました。薬も飲み始めました。絶望が希望に取って代
えられたとき、子どもは生きはじめたのです。
そして、その子を抱きしめていたピーターもまたそのことによって大きな希望
と勇気が与えられたことでしょう。
「自分を愛してくれる人がいた。自分を大事に思って、全身で受け入れてくれる
人がいた。自分は誰にとってもどうでもいい存在では決してなかった・・・・」。
この思いは、その小さな子どもだけでなく、ピーター自身の思いであったのか
もしれません。
神様がすべての人を愛することがおできになる方です。どんなに貧しい人も、
どんなに罪深い人も、どんなに汚れた人であっても、イエス様の御前に訪れるこ
とができます。いえ、イエス様のほうからお近づきになってくださるのです。
私たちがたとえ今、どのような状態にあろうと、どん底にいようとも、お金が
なくても、汚れていようとも、自分自身をそのまま、イエス様の前にお献げする
ならば、「あなたはわたしの愛する子、わたしはあなたを喜びます」とのお言葉
をいただくことができるのです。
もし、私たちが神様から送られているこのメッセージを素直に受け止めるなら
ば、私たちの身の上には、あのピーターに抱かれた子どもと同じ出来事が起こる
のです。あの子どものように生きる力をいただき、勇気をもって歩み始めること
ができるのです。
(by 藤田 昌孝)