神様に所有される人

 私たちはともすると、神様を自分の所有物のように扱ってしまうことがありま す。まるで自動販売機のように、お祈りをすれば、あるいは献金をすれば、ただ ちに願いをかなえてくれる便利なお方のように考えてしまうことが、ひょっとす るとあるかもしれません。

 たしかに、神様を「私の願いを実現してくださるお方」としてお慕いすること は、信仰の一つのあり方です。とくに神様との関係において、初めのうちはその ようにして信仰の入り口に立つことがあります。

 しかし、やがて神様との関係が深まるにつれ、その関係は、「自分の願いを実 現してくださるお方」から「神様の願いを実現させていただく自分」へと変えら れてゆきます。

 自己実現のために神様を利用する生き方から、神実現のために私自身が用いら れる生き方へと変えられてゆくのです。まさにそれは、神様を所有しようとする 生き方から、神様に所有していただこうとする生き方への変革です。

 次にご紹介します聖句の著者ヤコブは、イエス様の兄弟だといわれていますが、 かつては、イエス様の兄弟としてイエス様を所有し、批判していた人であったの かもしれません。

 しかしやがて、イエス様を自分の「主」として迎え、イエス様に自分の生涯を 献げます。まさにイエス様に所有されることを喜ぶ者となった人です。その彼が ヤコブの手紙1章2節から8節でこのように語っています。

「わたしの兄弟たち、いろいろな試練に出会うときは、この上ない喜びと思いな さい。信仰が試されることで忍耐が生じると、あなたがたは知っています。あく までも忍耐しなさい。そうすれば、完全で申し分なく、何一つ欠けたところのな い人になります。(中略 )いささかも疑わず、信仰をもって願いなさい。疑う 者は、風に吹かれて揺れ動く海の波に似ています。そういう人は、主から何かい ただけると思ってはなりません。心が定まらず、生き方全体に安定を欠く人で す」。

 神様について自分勝手に判断を下し、自分のものとしようとする生き方には、 不平不満、不安が伴います。それはまさに風に吹かれて揺れ動く海の波のごとく、 心が定まらず、生き方全体に安定を欠く人です。

 反対に、神様に自分をお献げして、神様に所有していただこうとする人は、完 全で申し分なく、何一つ欠けたところのない人、つまり、たとえ嵐の中にあって も、心が定まり、生き方全体に安定をおぼえるような人になるのです。

 私たちの人生全てを日々、神様に所有していただくならば、その中で出会う経 験はすべて神様のお許しの中で生じる出来事です。たとえそれがいろいろな試練 であっても、喜びと思えることが起こされるのだと、神様はお約束してくださる のです。
(by 藤田 昌孝)