弱き者

「いかに幸いなことでしょう/弱いものに思いやりのある人は。災いのふりかか るとき/主はその人を逃れさせてくださいます」(詩篇41:2)。

神様の思い、神様の視点はいつも弱いところに向けられているようです。

「また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見 て、深く憐れまれた」(マタイ9:36)。

 イエス様の目が注がれている所は、華やかな所ではありませんでした。美しい 所、力のみなぎった所、優秀な所ではありませんでした。イエス様の目が注がれ ている所、そこは、弱り果てている所、打ちひしがれている所でした。

「主は打ち砕かれた心に近くいまし/悔いる霊を救ってくださる」(詩篇34: 19)。とある通りです。

 知的障害者と健常者が共に生活する「ラルシュ共同体」の創設者である、ジャ ン・バニエという方が、インドのバンガロール市で、ハンセン病の患者さんの包 帯を取り替える目的で、マザー・テレサのグループに属するシスターのお手伝い をされた時のことです。

 そこの人々は、足も鼻も、指先までもくずれてなくなり、もはや手のほどこし ようもないくらいでした。彼は何もできず、せいぜいシスターたちにハサミを渡 すことぐらいしかできませんでした。また、なんとかそこにとどまり、患者たち の目を見つめることはできました。

 人々は、手足の感覚がまったくなくなるために、ネズミに足の指を食べられて しまっても何も感じません。また足の裏に釘が刺さっても痛みを感じないので、 腫れ物ができ、壊疽ができたりもします。

 しかしジャン・バニエは驚きます。ハンセン病にかかった人々は、外側のその ような悲惨な様相にかかわらず、なんと、皆が笑っていました。体は膿や泥でお おわれ、悲惨な状態にもかかわらず、そこに彼は、何とも言えない、美しさを感 じるのです。

 彼はその中で、深い平安と喜びを感じるのです。その感覚があまりにも強く、 自分が喜びでいっぱいになってしまうため、彼はそんな自分を許すことができま せんでした。悲惨な状況下で、喜んでなどいられるはずがないからです。

 そこで、彼は、いっしょにいたカナダ人の看護師さんにそのことを告白しまし た。「私は今、喜びでいっぱいで恥ずかしい」。すると、こういう返事が返って きました。「私もあなたと同じです」。彼女も、彼と同じ体験をしていたのです。

 ジャン・バニエは感じました。「ああ、これは、イエス・キリストのご臨在の しるし、神様の存在を示すしるしなんだ」と(『小さき者からの光』より)。

 神様の思いは低い所に注がれていました。神様は低き、小さき人々の中に共に いてくださいました。そして低きところ、弱きところ、小さきところにその存在 を現してくださるのです。

 次の歌は、シドニー・カーターという方の作詞作曲、『わたしは物乞いのよう に来る』です。

 私は物乞いのように来る 手に贈り物を持って

 私は飢えた人々によってあなたを満たそう

 貧しい人々によってあなたを富まそう

 傷ついた人々によってあなたを癒そう

 さあ 言ってごらん どちらが本当に豊かか?

 私は囚人のように来る あなたに鍵を渡すために

 助けの必要なあの人は あなたへの私の贈り物

 私は飢えた人々によってあなたを満たそう

 貧しい人々によってあなたを富まそう

 傷ついた人々によってあなたを癒そう

 さあ 言ってごらん どちらが本当に豊かか?

 神様は弱い人々の中にその存在を現して下さいます。そしてあなたの弱さの中 にも、あなたの低いところにも、あなたの小さいところにも、その存在を現して 下さいます。

「すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分 に発揮されるのだ』と言われました(コリント12:9前半)
(by 藤田 昌孝)