主を求める
主に感謝をささげて御名を呼べ。諸国の民に御業を示せ。
主に向かって歌い、ほめ歌をうたい
驚くべき御業をことごとく歌え。
聖なる御名を誇りとせよ。主を求める人よ、心に喜びを抱き
主を、主の御力を尋ね求め
常に御顔を求めよ。
主の成し遂げられた驚くべき御業と奇跡を
主の口から出る裁きを心に留めよ。(詩篇105:1 〜5)
神様のなされた御業を示し、歌いなさい。そのために、御業と奇跡を求めなさ
い。主の御力を尋ね求めなさい。これが私たちに対する神様からのお勧めです。
私たちは、主の御力を尋ね求めることによって、少なくとも3つの祝福、主の、
御業を見ることができます。
1、求め続けることによって、私たちはそれが自分のうちに無いことに気づかさ
れます。
イエス様の弟子たちは、聖霊を求め続けました。ですから、イエス様がご自身
を世界中に証する前に、「留まって聖霊を求めなさい」というご命令に従ったの
です。
救霊の働きをするのにふさわしい者となることができるように、聖霊が注がれ
ることを祈り求めました。彼らは、福音が世に宣べ伝えられなければならないこ
とを悟りますが、その力が自分たちにはないことを感じます。
そして求め続けるとき、そこには喜びと力、希望が与えられます。
イザヤ書40:31主に望みをおく人は新たな力を得/鷲のように翼を張って上
る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。
主に希望をもち、願い、尋ね求めているとき、そのときすでに力を得ている、
喜びが与えられるということです。主を尋ね求めることによって、私たちは自分
自身の足りなさと、同時に神様から与えられる喜びと力を受けとることができる
のです。
私たちが主の御力を尋ね求める者であるということはすばらしいことです。そ
のことゆえに私たちは、自分の足りなさを知りつつも、力と喜びを得てゆくから
です。私たちがいつも、主を訪ね求め、聖霊の満たしを求め続けるということは
すばらしいことです。そこにはすでに喜びと力が与えられるからです。
尋ね求めることの2つ目の祝福、それは、主を尋ね求める人がいるならば、そ
の人の周りの人々が主に用いられるということです。
尋ね求める者がいるからこそ、主の御業が現され、語る者が語らされてゆくの
です。私たち牧師の多くは、どこで聖書理解のインスピレーションを受けてゆく
か?知恵と解き明かしの醍醐味をどこで味わってゆくかというと、そこに問う人
がいるときなのです。
聖書研究のその場所で、そのための準備の段階から、知恵が与えられます。ど
なたかのご質問に答えるために御言葉の理解が与えられるのです。
私たちの中で誰かが、尋ね求めるならば、その必要を満たすべく誰かが、主に
用いられるのです。そこに御業が現され、尋ねる者も、答える者も同時に祝福に
あずかるのです。
そして三番目、主を尋ね求めるならば、そこに神様の御業が豊かに起こされる
ということです。祈り求めるところ、尋ね求めるところ、願い求めるところには
神様の御業が、神様の奇跡が表されるのです。
そして、そのことをもって私たちは、イエス様の証人として、イエス様のお働
きを多くの方々にご紹介してゆくことができるのです。先日、お一人の求道者の
方が、牧師室にお越しくださいました。そしてこのようなお証をしてくださいま
した。
お子様を二人教会立の全寮制の中学校に入学させたい、本人たちもそれを望ん
でいる。しかしそのためにはお金がかかります。お祈りしておられました。する
と、250万円のお札の束が、目の前に、ドサっと与えられました。
お勤め先の上司の方がお話されるには、「昨日夢の中で、あなたがお金を必要
としているということを知らされました。あなたは、私の会社にとっては無くて
はならない大切なメンバーです。
あなたのおかげでどれだけ会社が発展したかわかりません。感謝の気持ちをこ
めて、このお金をお貸しします。返してくださるのはいつでもいいです」。
私は「このことは、神様の御業だと思いますので、ご紹介しても、いいですか?」
とお聞きしましたら、お証してもよいということでしたので、ご紹介させていた
だきました。この方は今主を信じ、洗礼(バプテスマ)を願っておられます。共
にお祈りをいたしました。
(by 藤田 昌孝)