信仰の話2

 以前、広島三育学院教会に招かれてご奉仕をさせていただきましたときのこと です。新大阪から新幹線で三原駅まで行き、三原駅から山陽本線で「河内(こう ち)」まで行くことになっていました。「河内駅」では、知人がそこで迎えてく れることになっていました。

 さて、三原駅に着いたところまではよかったのですが、その後です。山陽本線 で「河内駅」に行く電車は、さて、どのホームだろうか?初めての駅ですのでよ くわかりません。

 そこで、駅員さんを探すのですが、どの駅員さんもお仕事をされていたり、お 客さんとお話されていたりで、なかなかお聞きすることができませんでした。

 そこで、しかたなく(こんな言い方ですみません)、改札におられた若い女性 駅員さんにお尋ねしました。新入社員といった感じの方でした。

 内心「だいじょうぶかな?」と思いながら、「河内へゆきたいのですが、どこ のホームに乗ればよろしいのでしょうか」。「えーと、それでしたら、〜番線で お待ちください。改札を出てすぐ右の階段です」。「ありがとう」。

 言われたとおり改札を出てすぐ右の階段をいそいそと上ってゆきました。そし て教えていただいたホームでしばらく電車を待っていたのです。そろそろ、電車 が来る時間、人々が列を作って待っています。私も列の中に入って待っていまし た。

 その時です。ふと「あの女性の駅員さん、大丈夫かな?」。今から思うと、な んと差別的な発想でしょう。若いということ、女性ということで疑うとはなんと 失礼なことでしょう。

 まことに恥ずかしいことですが、そのように思ってしまったのです。そこで、 後ろに並んでおられた男性の方に、「ここに来る電車は、河内駅に行きますか?」 とお尋ねしました。すると、その男性、「河内?さーねー、これ、広島行きだ よ」。「えっ?」

 さー、心配になってきました。どうしよう、もうすぐ、電車はやってきます。 今からホームを離れて駅員さんを探すのもなんだし、今さら違いますと言われて も困ります。

 とうとう電車がやってきました。最後のチャンスとばかり、今度は列の前の若 者にお聞きしてみました。すると、「河内、どこですかそれ?知らないなー」。 「へー、そりゃないよ、どうすんのよー」。

 心配はさらに高まり、ひたすら女性の駅員さんに問うたことを後悔しました。 大変失礼なことですが、「あの時年配の男性駅員を待つべきであった。そうすれ ば、こんなに心配することはなかったのに…」。

 どうする?乗るか、乗らないか?到着の電車を前にして、どうする?「えーい、 とにかく乗ってしまえ、ここまで来たらしゃーない」。飛び乗りました。車内の 席にすわったものの、心配で、心配で仕方ありません。

 ちょうど、車内には地図もなく、「どうしよう、どうしよう、もし、ちがう路 線だったら、大変だ。河内では知人が待っている」。駅に着くたびに、駅を離れ るたびに、車内アナウンスを聞き逃すまいと、必死です。

 全身耳にしながら、気が気ではありません。しかし、いつまでたっても、「河 内―」のアナウンスが聞こえてきません。ところが・・・・ようやく、「次はー 河内−」。

 やったー!!女性駅員さん、ありがとう、あんたは偉い!!そして、ごめんな さい、本当にごめんなさい、あなたは素晴らしい駅員さんです。

 英語で「〜を信じる」ということを、believe in といいます。こ こで使われています、inという前置詞は、「〜の中に」という意味です。聖書 に書かれているギリシヤ語の「信じる」という言葉にも、「エン」という前置詞 が用いられます。

 イエス様を信じるという言葉は英語では、I believe in Jes usとなって、キリストの中に信じるということになります。

 実は、私たちが、お祈りの最後に用いる、「イエス様のお名前によって」とい う言葉も、ギリシャ語でも英語でも、in Jesus nameという言葉が 使われています。イエス様のお名前の中で、と祈られています。

 inとは「〜中に」つまり、場所を表しています。ですから、私たちが神様を 信じるということは、私たちが神様を「つかんでいる」とか、「勝ち取っている」 というのとは、少し違います。

 それは、私たちの立っている場所、ポジションを意味します。私たちが今、ど こに居るのか、どこに立っているのか、それが問題となるのです。

 私はそのとき、女性の駅員さんの言葉を半信半疑、いや、かなり疑いながらも、 その電車に乗ることができました。河内行きの電車の中に入ることができました。 おかげ様で、無事目的地に着くことができました。

 そこで知人と会うことができました。駅員さんの言葉は確かでした。私の動揺 や疑いにもかかわらず、その言葉は確かに私を目的地に連れて行ってくれたので す。私はその電車の中に入ることができました。

王国は正義と恵みの業によって 今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。 万軍の主の熱意がこれを成し遂げる(イザヤ9:6新共同訳)

とあります。

 私たちはいつも、神様のご計画と御言葉を信じて、神様の列車の中で安んじて 事を待つことが赦されています。その列車の中で安心、平安をいただくことが赦 されています。

 しかし、残念ながら、恥ずかしながら、時として、神様の言葉が、私たちの愚 かさゆえに、疑わしく思えてしまうことがあるかもしれません。しかし、私たち の揺れ動く、頼りないこの思いとは裏腹に、神様のご計画はどこまでも確かです。

 神様の約束はまことに真実です。私たちの救いや、主のお約束の成就は、私た ちが神様の列車の中に居るかぎり、私たちを必ず、約束の地に運んでいってくだ さるのです。
(by 藤田 昌孝)