時間のかかること

「あなたの神、主はこれらの国々を徐々に追い払われる。あなたは彼らを一気に 滅ぼしてしまうことはできない。野の獣が増えて、あなたを害することがないた めである(申命記7:22)」。

 この言葉は、ユダヤの民がエジプトを脱出したのち、カナンの地に入ってゆく ときについて語れた神様のお言葉です。

 ユダヤの民の人口が十分でないからか、十分な準備ができていなかったからか、 いずれにしても、一挙にカナンの先住民を滅ぼしてしまえば、その後に広がる荒 地に野の獣が増えて、ユダヤの民に害を及ぼしたのでしょう。ですから、徐々に 少しずつ、時間をかけて国々を追い払う、と主はお語りになったのです。

 神様は私たちの側の準備や必要を配慮して、徐々に、少しずつ、時間をかけて 事を成す、そのようなことをなさるのです。

 現代はスピード時代です。お金を入れれば、すぐに品物が出てくる自動販売機。 ほしい情報が一瞬にして手に入るインターネット。駅の改札でも、カードさえあ れば、切符を買う手間もいらなければ、切符を入れる手間も要らなくなりました。  秒単位で時間の節約ができるのです。大変便利な世の中にはなりました。しか しそんなスピード重視の現代にあっても、どうしても時間のかかるものがありま す。

 いや、時間をかけて少しずつ進んでゆくべきものがあります。時間をかけなけ れば身につかないものがあります。

 旧約聖書の「出エジプト記」には、当時エジプトの奴隷であったユダヤの民を エジプトから脱出させた指導者モーセについて書かれています。

 モーセは若い頃、自分の努力でユダヤの民を解放させようと実行に移しますが、 それはすぐに失敗に終わります。しかも命まで狙われ、荒野に逃げ込んでしまう のです。

 彼はそこで40年間、羊飼いとして過ごすことになります。ものごとは彼の思 い通りには運びませんでした。そのことについて、エレン・G・ホワイトはその 著書の中で、次のように説明しています。

「多くの人々は、長い困苦と心労の期間を非常な時間の損失だと考えて、免除さ れることを願うものである。しかし、無限の知恵をもたれた神は、民族の将来の 指導者を40年間も羊飼いの仕事に召された。

 こうして、自分を忘れてやさしく羊の群れをいたわって、世話をする習慣が養 われて、彼はイスラエルびとの心やさしく忍耐強い羊飼いとなることができるの であった。

 どのようにすぐれた人為的訓練や教養であっても、この経験のかわりにはなら ない」(『人類のあけぼの』上283)。

 「付け焼き刃」という言葉があります。一時の間に合わせに、にわかに覚え込 んだ知識や技術のことを言います。鈍刀に鋼の焼き刃を付け足したところから、 そのように言われているそうです。

 鋼を付け足しても、やがてすぐにメッキははげ、切れなくなってしまいます。 やなり刀は何度か「焼き入れ」を繰り返した丈夫な鋼をもって作られてゆかなけ ればならなかったのでしょう。それには手間や時間がかかるのです。

 スピード時代に住む私たちは、人生の道のりで、さらには神様に対しても、ど こかせっかちになっているところがあるかもしれません。

 すぐに結果を求めたり、簡単にあきらめてしまったり、時間をかけたり、苦難 の時期を過ごしたりすることを損失としてしか捉えることができなくなっている のかもしれません。

 しかし、結果がすぐに見えてこない、そのようなときにこそ、私たちにとって 大切な出来事が、神様のゆるしとご計画の中で、まさになされているのかもしれ ません。

覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済む ものはない(ルカ:12:2)。

 結果の見えてこない、トンネルの中で、損失としか思えない苦難の中で、着々 と進められている主のその隠されたお働きは、時を経て、やがてその姿を現すよ うになるのです。
(by 藤田 昌孝)