遠回りの成熟

「それを知った兄弟たちは、サウロを連れてカイサリアに下り、そこからタルソ スへ出発させた」(使徒言行録9:30)。

 大胆にイエス・キリストを語りだしたサウロでしたが、その志を前にして、早々 に生まれ故郷のタルソスに帰されることになりました。それはサウロにとってあ る意味大きな挫折であったと思われます。

 そのままサウロは、8年間ほど、タルソで暮らしていたようです。彼はそこで 何をしたのでしょうか。1人主と深く交わる時を持ったのかもしれません。また は故郷の人々にキリストを宣べ伝えていたのかもしれません。

 または、その間、彼は今までの自分のやり方について、じっくりと、省みるこ とをしたのかもしれません。ダマスコにあっても殺されそうになった。エルサレ ムでもそうだった。

 議論に打ち勝っても、それによって人の心を捉えることができなかった。自分 のやり方は、どこか間違っていたのかもしれない。そのような反省があったのか もしれません。

 タルソにおける約8年の間、サウロは、神様との深い交わりの中で器が深めら れ、整えられていったのでしょう。神様はサウロがやがて使徒パウロとして立ち 上がるその準備として、このタルソにおける8年間をあらかじめ用意しておられ たのではないでしょうか。

 私たちも神様によってそれぞれ召されています。人はそれぞれ独自の方法によっ て主に用いられようとしています。私たち自身も、その召しを受けて、主のため に何か、お役に立ちたいと決心します。

 ところが、そう決心した矢先、思わぬ困難や、つまずきを経験することがあり ます。遠回りを経験させられることがあります。ものごとはなかなか自分の思い 通りには行きません。

 しかし、なるようには、なるものなのです。私たちの思いをはるかに超えたと ころの神様の思いの中で、着々とそして確かに、事は進んでいるのです。しかも、 その困難やつまずきのさなかで、かえって私たちの未熟さが、成熟へと向かわさ れ、より神様に用いられやすい器へと整えられてゆくのだと思います。

 一見私たちには遠回りに見えることがら、困難やつまずき、に見えることがら をも、主は豊かに用いられるのです。

南北戦争時代の一兵士による 答えられた祈り

わたしは神に 強さを求めた 何事かを成し遂げるために
 すると私は弱くされた
  従うことを謙虚に学ぶようにと

私は神に 健康を求めた もっと偉大な仕事をするために
 すると私には病が与えられた
  恵み深い仕事をするようにと

私は神に 富を求めた 幸福になるために
 すると私は貧しくされた
  知恵あるものとなるようにと

私は神に 力を求めた 人々の賞賛を得ようと
 すると私には弱さが与えられた
  自分には 神が必要であることを自覚するために

私は神に あらゆるものを求めた 人生を楽しむために
 すると私には、命が与えられた
  あらゆるものを楽しむように

求めるものは何一つ手に入らなかったが 望んでいたものは すべて与えられた

的外れの私の祈りにもかかわらず 神は ことばにならない私の
本当の願いを聴いてくださった 私はだれよりも 豊かに祝福を受けている
(by 藤田 昌孝)