足ることを学ぶ
信徒の方に勧められてお読みした本、『こころの格差社会』(海原純子、角川
oneテーマ21)の中に、面白い寓話が紹介されていました。
昔々、ある国の王様のもとに1人の素晴らしい召使がいました。毎日幸せそう
にやってきて、歌を歌いながらハードワークをこなします。王様は召使にたずね
ました。
「お前は何故そのように毎日気分よく幸せそうにしているのか?」召使は答えま
した。「王様、私は十分持っています。家もあります。家族も元気です。食べも
のにも困らず働く場所もあります。何の不自由もないからです」。
しかし王様は納得できません。自分は立派な宮殿に住みおいしいご馳走を食べ
ているのに満たされていないからです。王様は国一番の賢者にたずねました。「あ
の召使が何故そんなに幸せでいられるのか?」。
賢者は答えます。「その理由を知る方法があります。ただ、1人の素晴らしい
召使をなくすことになりますが、それでもよろしいでしょうか」。王様はそれで
もいい、と答えました。
賢者は99枚の金貨を袋に入れ、召使の家のドアにつるしました。翌日、召使
は袋を見つけます。袋の中には、「この金貨は今までのお前の働きに対する報酬
である」とのメッセージと共に大量の金貨が入っていました。
召使は大喜びで金貨を数え始めました。1枚、2枚、・・99枚・・。「おか
しい、1枚足りない。誰かが1枚、抜き取ったのかも・・」。召使はイライラし
てきました。「金貨100枚あれば、一生幸せに暮らしてゆけるのに・・」。
召使は金貨1枚を得るために、残業を増やし、妻を働きに出し、休日を返上し、
食べ物も切りつめました。やがて彼は、苦虫をかみつぶしたような顔で出勤し、
歌は消え、不機嫌そうな表情が彼のトレードマークとなってゆきました。
王様は毎日不機嫌な召使の顔を見るのが嫌になり、この召使をクビにしてしま
います。素晴らしい召使を1人失ってしまったのです。
何かが足りないと思い、その何かがあれば幸せになれると、その何かを求め始
めた瞬間に、人は幸せではいられなくなるというお話でした。新約聖書の多くの
書簡を書いた使徒パウロは、『ピリピへの手紙の中』で、次のように述べていま
す。
「わたしは、どんな境遇にあっても、足ることを学んだ。わたしは貧に処する道
を知っており、富におる道も知っている。わたしは、飽くことにも飢えることに
も、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に処する秘けつを心得て
いる」(4:11、12)。
人は、貧しさを解決するために何かを満たしてゆこうとします。たくさんの物
を集めたり、お金を集めたりしようとします。
しかし、パウロは、ここで「足ることを学んだ」「富むことにも貧しいことに
も処する秘訣を心得ている」と言います。パウロが学んだ「足ること」とは?彼
が心得ている「秘訣」とは、いったい何でしょうか。
そのヒントになりそうな言葉をパウロは、『テモテへの第一の手紙』の中で語っ
ています。
「信心があって足ることを知るのは、大きな利得である。わたしたちは、何ひと
つ持たないでこの世にきた。また、何ひとつ持たないでこの世を去って行く」(6
:6、7)。
この言葉は単に人が生まれてくる様子や死ぬときの状態を表しているわけでは
ありません。
人には、持ち物や貧富にかかわらず、生まれもって神様から与えられている意
味と目的がある、そしてその意味と目的を全うするために必要なものを神様はお
与え下さり、神様は取られる、このようなことを意味しているのだと思います。
現在与えられている神様からの恵みを覚え、私に何をさせていただけるのか?
主の思いに心を向け、神様に生かされていることに感謝と喜びをお捧げできれば
と思います。
(by 藤田 昌孝)