恵みその2 恵みと誇り
臨床心理学者、河合隼雄氏は、『心の処方箋』という著書の中に、「マジメも
休み休み言え」と書かれていました。要約すると次のような内容でした。
「とにかくマジメだが、なんとなく人に敬遠される人がいる。言うこともマジメ
で、『なるほどもっとも至極』というわけで反論の余地がない。もっともだと思
いつつ、しかし、心の中で妙な反発心が湧いて来たりする。
何も言えないまま、なんとなくモヤモヤしたものが心に残ってしまう。マジメ
さも、気をつけていないと、自分の正しさを守ろうとするあまりに、余裕がなく
なる。
すると、相手にも相手の世界があるのだということが理解できなくなってしま
う。自分の正しさを信じるがあまり、相手の気持ちをさっすることができずに、
そのマジメさが時には、鈍感さや高慢さにさえ通じることがある。
だから、マジメも休み休み言う必要がある。マジメにも休みが必要なのである。
休んでいる間に人間は何か他のことを考える。休みという余裕が、自分の生き方
以外にも多くの生き方があることを見せてくれるのである。
日本人はとかくマジメだと言われてきました。昨今の世相を見ると必ずしもそ
うではないかもしれませんが、まだまだ生真面目な人が多くいらっしゃるような
気がします。それは素晴らしいことだと思いますし、
私もできるだけマジメに生きてゆきたいと願っています。このマジメさが、時
として聖書の「恵み」と衝突し、しかしやがて共存してゆくのです。私の聖書研
究では、できるだけ早い時期に、聖書にある「恵み」についてお話させていただ
きます。
時として次のような会話が生まれることがあります。
「『恵み』とは受ける資格のない人が受けることです」。
「私にはその資格がないというのですか?」。
「はい、人は皆、その資格を失いました。神様の恵み、憐れみによってしか、救
いに入ることはできません」。
「でも、私は人間の努力やマジメさ正しさが救いには必要だと思います。そうで
なければ、人間の『誇り』はどこにいってしまうのですか?」
「聖書を開きましょう。エフェソ2:8、9です」。
事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自
らの力によるのではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。それは、
だれも誇ることがないためなのです。
「では人としての『誇り』はないのですか?人がマジメに生きること、努力する
こと、正しく生きることは大切だと思います」。
「私も人が誇りを持って生きること、マジメに努力することは必要なことだと思
います。しかしそれをもって救われるわけではありません。『恵み』によって救
われた者として生きるため、正しさやマジメさは必要です。また『恵み』に生か
される人にも『誇り』はあります。聖書を開きましょう。第一コリント6:20
です」。
あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光
を現しなさい。
「『誇り』について言うならば、パウロはローマ人への手紙の中で、次のように
言っています」。
このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあず
かる希望を誇りにしています(ローマ5:2)。
そこでわたしは、神のために働くことをキリスト・イエスによって誇りに思って
います。キリストがわたしを通して働かれたこと以外は、あえて何も申しません
(ローマ15:17、18)。
恵みによって生かされる人の誇りは、キリストによって生かされていること、
そして神様の栄光を現すために働くこと、そのためにイエス・キリストが私たち
を通してお働きくださること、とパウロは言っています。
私たちはどうやら「恵み」のうちに、イエス・キリストを「誇り」として生き
ることがゆるされているようです。
(by 藤田 昌孝)