恵みその3 不公平

 以前、私は、靴屋さんのバーゲンセールで、テニスシューズを元値の半額で購 入しました。「やった、得した!」と喜んでいました。ところが・・・数ヶ月し てからそのお店で、同じテニスシューズがさらに1000円安く売っていたのを 見つけました。「ずるい!損した!」。「なんということをしてくれたんだ!」。

 あの時の喜びはどこへ・・・。私だって半額で買えたわけですから、実際は損 をしたわけではありません。値引いた店員さんにも問題はありません。ましてや 1000円安く買ったお客さんを責めることなどできません。しかし・・・。

 聖書にも同じようなくだりがあります。有名なぶどう園のたとえ話です。ある 家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行きます。 主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者を雇います。

 ぶどうは収穫が遅れると腐ってしまいます。その日のうちにできるだけ多く収 穫したい主人はその後、何度も労働者を雇います。そしてあと1時間ほどで一日 の労働を終えようとする頃、さらに人手を必要とした主人は、午後五時にも、労 働者を雇いました。

 夕方になって、ぶどう園の主人は監督に賃金を払わせます。最後に来た者から 始めて、最初に来た者に賃金は支払われてゆきました。初めに、午後五時ごろに 雇われた人たちに対して、なんと・・・・一デナリオンが賃金として払われまし た。

 そして最初に雇われた人たちにも約束どおり一デナリオンが払われました。 「おかしい!」当然最初から働いていた者たちからクレームが入ります。「最後 に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して 働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは・・・不公平!」。

 主人は答えます。「友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたし と一デナリオンの約束をしたではないか。わたしはこの最後の者にも、あなたと 同じように支払ってやりたいのだ。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか」。

 イエス様が地上に来られるまで、イスラエル人にとって、天国とは、律法に生 きる者に報酬として与えられるものでした。しかし、律法から遠く離れたと人、 律法を守り得ない人々にとって、それは高嶺の花でしかありませんでした。

 しかし、その人々に「信じるだけであなたも救われる」「キリストによってあ なたの罪が許される」という教えが与えられました。それこそ、なんという気前 のよさ、なんという「恵み」!もちろん、そのためにイエス様は全ての人の罪を 全て負ってお苦しみに会われ、十字架の死をもって贖ってくださったのです。

 しかし、この「恵み」を、イスラエルの宗教指導者たちは、なかなか受け入れ ることができませんでした。「私たちの今までの苦労はどうなるのですか?」。 「それでは、がんばった人が報われません」。「不公平です」。

 しかし、彼らも気が付くべきでした。彼らにしても正規の報酬を払って、天国 に行くことなど到底不可能であったということを。誰もが、たとえ話の「一日働 いた人」に自分を当てはめてしまいます。しかし本当は、誰もが最後の1時間し か働いていないということに気付くべきなのです。

「実は、自分は最後の1時間しか働かなかった労働者であった」そのことを知ら されるとき、その人は神様の「恵み」のうちに生かされてゆきます。人が神様の 気前よさによって生かされていることを知るとき、「恵み」への不公平の不満は やがて消え去り、感謝と喜びの中に生かされる者へと、変えられてゆくのです。
(by 藤田 昌孝)