生活の信仰

 使徒言行録に、コリネリウスというローマの百人隊長が登場してきます。彼は、 異邦人伝道の幕開けとして、神様から選ばれた人物でした。

 神様は使徒ペトロをして、このギリシャ人のコリネリウスより、ユダヤ人以外 の人々にもキリストの福音を大胆に宣べ伝えるように導かれました。

 コリネリウスについは、使徒言行録10章2節において次のように紹介されて います。「信仰心あつく、一家そろって神を畏れ、民に多くの施しをし、絶えず 神に祈っていた」

 また、彼の部下たちも、主人であるコリネリウスについては、同章22節で次 のように紹介しています。

「百人隊長のコルネリウスは、正しい人で神を畏れ、すべてのユダヤ人に評判の 良い人ですが、あなたを家に招いて話を聞くようにと、聖なる天使からお告げを 受けたのです。」

 コルネリウスが、部下たちからも、いかに尊敬されていたかが分かります。こ のコルネリウスの尊敬はどこから来ているのかと言えば、10章の2節にもどり ます。

「信仰心あつく、一家そろって神を畏れ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈っ ていた」。

   信仰と信仰心

 彼の尊敬の原因は、それはおそらく、この「信仰心」にあったと思われます。 「信仰」という言葉と「信仰心」という言葉、ギリシャ語では違います。「信仰」 は、ピストゥース、「信じる」ということです。

「信仰心」は、ユースベイアー、「信仰がその人に深く身についている状態」を いいます。別の日本語では、「敬虔」と訳されています。信仰がその人の生活と なっている様をいうのです。

 信仰が生活になっている、とは、必ずしも、宗教的な生活を表しているもので はありません。

 イエス様はおっしゃいました。「かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、 主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名に よって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろう。

そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らな い』」(マタイ7:22、23)。

 預言や奇跡、悪霊を追い出す、どちらかといえば非日常的、宗教的なことをた くさんしていても、私はあなたがたを知らないとおっしゃいます。

 かえって、病人をお見舞いしたり、旅人を迎えたり、つまり、一見、宗教的で はない日常の中に表された小さな親切ややさしさを通して私はあなたを知ってい るとおっしゃるのです。(マタイ25:34〜40参照)

 コルネリウスの信仰は、彼の日常生活に表されていたのです。彼の日常生活に 表された親切や優しさ、思いやり、清潔感、あたたかさ、正直さのなかに、彼の 信仰が表されていたのだと思います。

 ですから、コルネリオの信仰は、部下や家族にも非常にわかりやすかった、受 け入れられやすかったのです。彼ら、生活にあらわされた信仰を持つコルネリウ スを、尊敬し、やがて家族が入信し、部下たちも神様を信じるようになってゆき ました。

 私たちの信仰も生活に表される豊かな敬虔さへと導かれてゆきたいと思います。
(by 藤田 昌孝)