疎外

イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、 占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王とし てお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星 を見たので、拝みに来たのです」(マタイ2:1、2)。

 ここに登場する東方からの占星術の学者とは、原語では「マゴイ」英語では、 「マギ」と訳されます。「マギ」とはもともと、哲学、薬学、自然科学、天文学 に秀でた賢人、聖人、教師、導師をあらわす名称でした。

 ところが後になって低俗な意味で用いられるようになります。占い師、魔術師、 奇術師、やぶ医者などです。私などはつい、手品師のマギー司郎・審司氏を連想 してしまいます。しかし当時の「マギ」は賢者、学者と訳するのがよいかと思わ れます。

 東の国(ペルシャ?バビロン?アラビヤ?)の学者たちは、星を観測している うちに、突然、不思議な星を発見します。「この星はいったいなんだろう?何を 意味するのだろう?」

 賢者たちは、文献を調べ、当時ギリシャ語に翻訳された旧約聖書をあたったの でしょう。

「ひとつの星がヤコブから進み出る。ひとつの笏がイスラエルから立ち上がり/ モアブのこめかみを打ち砕き/シェトのすべての子らの頭の頂を砕く」(民数記 24:17)。

 学者たちは聖書を通して、ユダヤの王、救い主の誕生をその星から読み取った のです。 「エルサレムでは、救い主の誕生を喜んで、盛大なお祝いをしている にちがいない」。そう思ってエルサレムにやって来た学者たちを、迎えたものは ・・・・

「これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であっ た」(マタイ2:3)。

 なんともさめた反応でした。救い主を誰よりも待ち望んでいるべきイスラエル の民が、救い主の誕生を知らずにいました。異邦の学者に先を越されます。しか もその知らせに不安感をいだくのです。何故でしょうか?

 イスラエルの宗教指導者たちは、救い主を待ち望み、組織と権威、たくさんの 規則を作って、それらを厳守してきました。

 しかし、それらの本来の目的はやがて見失われてゆきます。組織や権威、規則 自体がその目的となってゆくのです。そして今や、救い主の誕生に気づくことな く、たとえ知らされても、それを喜ぶことができなくなっていたのです。

 それに比べて、東方の学者たちは・・・
「学者たちはその星を見て喜びにあふれた。・・・彼らはひれ伏して幼子を拝み、 宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた」(マタイ2:10、 11)。

 学者たちは、自分たちの仕事や権威からひとたび離れて、救い主に出会うため に、そして救い主に贈り物を献げるために財産を用いたのです。彼らは喜びにあ ふれます。

「疎外」という言葉があります。「人間が作ったものが人間自身から離れ、逆に 人間を支配するような疎遠な力として現れること。またそれによって、人間があ るべき自己の本質を失う状態」をいうそうです。

 ユダヤの宗教指導者たちが作り出した組織や権威、規則は本来、救い主を待ち 望むために作り出されたものでした。しかしそれらは、やがてその本来の目的か ら離れ、かえって救い主との出会いを妨げる結果を生んだのです。

 私たちも、よかれと思って大切にしていたことが、いつのまにかその本来の目 的から離れ、疎外を招くことがあるかもしれません。人の作り出したものは、ど んなに素晴らしいものでも、限界があります。本来の目的から離れてしまうこと もあるのです。

 時には一度それらを手放してみて、あの東方の「マギ」たちのように、本来的 な目的を見直すことが必要なのかもしれませんね。
(by 藤田 昌孝)