信仰の達人

だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者と なりなさい(マタイ5:48)。

 ここで使われております「完全」という言葉は、「成熟」「大人になる」とい う意味なのですが、ある教会員の方が、バプテスマを受けてはじめの頃、マジメ に生きようと、立派に生きようとして、クリスチャンとして成熟しようと、完全 になろうとして、頑張っていたら、いつのまにか、うつ状態になってしまったと お話をしてくださいました。

 今はすっかり元気になられて、満ちたりて信仰生活を送っておられますが。自 分の努力で完全を目指して歩む続ける信仰生活は、しかしやがて挫折を向かえま す。

 こんな私を神様は愛してくださらないのではないか、救ってくださらないので はないか、と疲れ果ててしまい、それこそうつ状態になりかけたことがあります。 そもそも、完全とはいったい何か?クリスチャンとしての成熟とは何のか?そし て私たちはそのようになりえるのか?

 新約聖書フィリピの信徒への手紙3:12〜16でパウロが述べている言葉に 耳を傾けてみましょう。

わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけ でもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・ イエスに捕らえられているからです。(3:12)

兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ 一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、(3:13)

神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標 を目指してひたすら走ることです。(3:14)

だから、わたしたちの中で完全な者はだれでも、このように考えるべきです。し かし、あなたがたに何か別の考えがあるなら、神はそのことをも明らかにしてく ださいます。(3:15)

いずれにせよ、わたしたちは到達したところに基づいて進むべきです。(3:1 6)

 ここに表されている、完全な者の姿とは、1つに、前に向かって進んでいる姿 勢です。まだ、捕らえきれていない、さらに良きものを捕らえようと、前に向かっ て歩み続ける姿勢です。

 そしてもう1つ、それは既に捕らえられている事実です。既にイエス様に自分 は捕らえられているという姿です。

 そこには信仰者の持つことのできる憧れと満足二つの要素があります。1つは 神様のお心に従ってゆきたい、という憧れです。この憧れのもと、私たちは日々 前に向かって成長してゆくことがゆるされています。

 しかしどこまでいっても神様のお心は高きにありますので、完全に捕らえたと いうところまで、到達することはできません。と同時に、私たちには既にイエス 様に捕らえられている、という安心感・喜びがあります。

 私たちが今、どのような状況であろうとも、今、自分の達しえたところで神様 の御業を見ることができます。それを喜ぶことができます。満足することができ ます。到達したところで、神様の御業に感謝することのできるのです。

 ここで表されている完全とは、達人の粋に到達したということではなくて、達 しえたところで主の御業に満足し、感謝をささげつつ、さらに神様から示された 新たな憧れにむかって、前進してゆく、そのような姿勢について言われているの だと思います。

 であるならば、私たちにもそれは十分可能です。何度失敗を繰り返しながらも、 そのつど主に立ち帰り、赦され、到達したところにおいて、神様の御業に感謝を ささげ、満たされて、さらに前に向かって成長してゆく、そのような信仰の姿勢 を持つことは神様のお力によって十分可能です。

 私は時々、このようなご相談を受けることがあります。「心が沈んで、祈るこ ともできません。どうしたらいいでしょうか?心が騒いで、聖書が読めません。 もう、どうにでもなれ、と思ってしまいます。どうしたらいいですか?」このよ うなご相談です。

 そのようなとき、私は許されるのであれば、3つのことをご紹介させていただ きます。

 1つ、それは、朝起きたときに、神様の愛を感謝するということです。感じよ うと、感じまいと、お布団の中で、「神様、私を愛してくださってありがとうご ざいます。私を喜んでくださりありがとうございます」と神様の私に対する喜び を受けとめさせていただきます。神様の愛と喜びを肺にいっぱい吸い込みます。

 次に、起きてすぐ、朝できるだけ早い時期に、「神様、今日も私をご自由に用 いてください」と言います。そしてそのために「聖霊の神様、私はあなた様を歓 迎いたします。どうぞお入りください」と言います。本当はその時聖書を読むこ とができると素晴らしいのですが、落ち込んでいる方はそれができないことがあ ります。

 そして、夜寝るとき、神様に感謝します。いろいろな不満やふがいなさが自分 に対してあるかもしれませんが、達しえたところにおいて、神様のお働きを全面 的に感謝いたします。「神様今日も1日守ってくださり、ありがとうございます。 今日の罪をどうぞ赦してください。そして全てのことをやがて益に変えてくださ ることを感謝します」。感謝の心で床につくのです。
(by 藤田 昌孝)