霊的な飲み食い
コヘレトの言葉(伝道の書)に次のような言葉がありました。
「神に与えられた短い人生の日々に、飲み食いし、太陽の下で労苦した結果のす
べてに満足することこそ、幸福で良いことだ。それが人の受けるべき分だ。神か
ら富や財宝をいただいた人は皆、それを享受し、自らの分をわきまえ、その労苦
の結果を楽しむように定められている。これは神の賜物なのだ」(コヘレト5:
17、18)。
あれ・・・?今まで聖書の中で、「飲み食い」や「富」は、どちらかと言えば、
世俗的な事であり、霊的ではないという印象がありました。
「神の国は、飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びなので
す」(ローマ14:17)。「あなたがたは、神と富とに仕えることはできない」
(マタイ6:24)。
これらの聖句から、「飲み食い」や「富」については消極的なイメージを受け
ます。しかし上記のコヘレトの言葉では、「飲み食い」や「富」で満足すること
は良いこと。それを持って楽しむようにと奨められています。
ここには「飲み食い」「富」が積極的に描かれていると同時に「飲み食い」や
「富」が良いこととされる条件が、そこに描かれています。
1.労苦の結果
ここでは「労苦がない」ことの中に、楽しみを見つけるのではなく、「労苦の
結果」を楽しむように、と謳われています。自ら働いて汗した結果を味わいなさ
いということでしょうか。
2.分をわきまえ
「富」の量は人によってまちまち。多く持つ人もいれば、少ない人もいます。そ
の中で人の「富」をうらやんだり、さげすんだりすることなく、自分の今ある
「富」に満足することが大切です。神様から与えられたその配分を享受するとい
うことです。
それは必ずしも「富」を増やすな、ということではありません。たとえ、「富」
を増やすにしても、今ある「富」に感謝を忘れない、ということだと思います。
3.神の賜物
「飲み食い」も「富」もこれらはみな、神様から与えられたもの、賜物であるこ
とを覚えることです。もちろん「飲み食い」のため、「富」を得るために働いた
のは私たちかもしれません。
しかしそのための才能や能力をお与えくださったのは神様。働くことのできる
健康を支えてくださるのも神様です。神様のおかげ様で私たちは「飲み食い」し、
「富」を得ることができます。これらを神様の賜物として感謝して覚えることが
奨められています。
エレン・G・ホワイトの言葉です。
「あまりにも多くの心配事や重荷が家庭の中に持ち込まれて、自然の単純さと平
和と幸福の尊ばれることがあまりにも少ない。多くの人は家庭を魅力のある、喜
びのところにするにはどうすればよいか、その方法を学ぶ必要がある。
感謝の心とやさしい表情は富や贅沢よりももっと価値があり、質素なもので満足
する心は、愛があれば家庭を幸福にする」(アドベンチスト・ホーム110)。
サカキシンイチロウという方の書かれた『おいしい店とのつきあい方』という
本の中に、次のようなくだりがありました。
「何かを食べるとき、何か食べるモノを準備するとき、それを作ってくれた人の
ことを思い浮かべながら、準備したり食べたりする、ということが大切なんだ。
そしてその人たちが、一番手間かけた部分を大切にする。それがおいしく料理を
味わう、ということなんだ」。
お食事が人と人の豊かなコミュニケーションとなります。そしてその背後にあ
る神様のお働きを勘定にいれるなら、そのお食事はもっと豊かに、そして霊的な
ものとなるのだと思います。
「主の前でそれを食べ、家族と共に楽しまなければならない」(申命記14:2
6)。
(by 藤田 昌孝)