コヘレトの言葉

 旧約聖書の「コヘレトの言葉」(口語訳では「伝道の書」)を学ぶにあたって、 とても参考になった書籍の一つに『テンデル聖書注解 伝道者の書』(マイケル ・イートン、いのちのことば社)がありす。

 著者のマイケル・イートンは「後記」で次のように述べています。「コヘレト の言葉」の学びの助けとして、参考にしていただければと思いました。

 目的の喪失は、この世のひどく醜い現実なのである。それは社会全体の意識に 染み渡り、人間の魂を情け容赦なく蝕んでいる。どこにも出口はない。その一方 で、人は既製品のような出来合いの思考と気晴らしの娯楽でもって、テレビの画 面や大衆向け新聞に閉じ込められている。

 伝道者(コヘレト)には、このような世に向かって言うべきことがある。彼が 分かち与えるのは、思慮深い「低音キー」によるアプローチではあるが、神から の言葉である。彼は神の存在について多くの議論を提示したりはしない。

 その代わりに彼は、我々自身の問いを取り上げるのである。

「あなたは、自分がどこへ行くのか何も考えずに、人生に対処できるのか?」
「あなたは、人生の謎に対する答えを持っていないのではないか?」
「神から離れた人生観は、大きなことを成し遂げるという希望を与えないのでは ないか?」

 神を見失った自然はそのようなあなたの問いに答えないだろうし、あなたも、 そんな自然にもはやうんざりしている。歴史を理解しようとするあなたの試みを、 歴史が挫折させるのだ。

 あなたは自分の死について考えることを好まない。しかし死こそ、あなたの存 在に関して最も確実な真実なのである。

 伝道者(コヘレト)はこの世に向かって尋ねる。

「この世が究極のものでないとしたら、どうだろう?」
「神が存在し、神はご自身を求める者たちに報いてくださるお方だとしたら、ど うだろう?」

「神の至高の性質の1つが、想像できないほどの寛大さ(恵み)であり、限りな く与えようとする自発的意志であり、今あるままの我々を徹底的に受容すること であるとしたら、どうだろう?」

 挑発的に見えるこの伝道者は、次のように問うのである。

「人生の不毛と忌まわしい無目的は、あなたがそのような神を信じようとしない という事実のみから生じるのではないだろうか」と。

 我々は、伝道者(コヘレト)とそこで別れる。彼のメッセージは完了していな い。彼はイエス・キリストの福音が十分に明らかにされる光の前に生きたからで ある。彼は「遠くから」それを見た。

そしてまだ幾つかの問いを我々に残していく。
「神は、いかにして我々をそのような仕方で受け入れようとするのか?」
「この世の忌まわしい混乱を、どう説明しようとするのか?」
「我々は何を根拠に、未来のさばきにおいても『それで善し』とされるだろうと 確信できるのか?」

 これらの問いを解く鍵こそが、神の子イエス・キリストである。このキリスト によって、すなわち、救い主であり我々の罪を背負って下さるお方において、神 は我々にこう告げるのである。

「神はあなたがたと和解される・・・・神の和解を受け入れなさい」(コリン ト5:18)。

 神は、死者の中から彼をよみがえらせることによって、このことの確証をすべ ての人に与えたのである。神は、ご自身がお立てになったお方によって、義をもっ て世界をさばく日を決めておられる。

「ある者たちはあざ笑い、ほかの者たちは、『このことについては、またいつか 聞くことにしよう』と言った。・・・・信仰に入った人たちもいた」(使徒17 :32−34)
(by 藤田 昌孝)