三つ目の道
占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起
きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこに
とどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」
ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、ヘロデが
死ぬまでそこにいた。それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出し
た」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった(マタイ
2:13−15)。
イエス様がお生まれになろうとする、そのとき、ヨセフは、人口調査のため、
生まれ故郷に帰らなければなりませんでした。しかし、なぜ臨月を迎えたマリア
も一緒に同行させたのでしょうか?
ひょっとすると、婚約期間に身ごもったマリアに対して、ヨセフの実家の態度
が冷淡であったからなのかもしれません。マリアをひとり残しておくことができ
なかったとも考えられます。
ベツレヘムに着いたマリアとヨセフは馬小屋に泊まります。そこで、救い主イ
エス様はお生まれになりました。全人類の救い主、神の子キリストは、なんと窮
屈な、困難の中で誕生されたことでしょう。
お生まれになったイエス様を最初に拝みに来たのは羊飼いたち。しばらくして
博士たちが訪れます。その時にはイエス様は、もはや馬小屋ではなく、家に住ん
でいたと思われます(マタイ2:11)。
しかしその後、さらなる困難がイエス様を襲います。それが先にご紹介した聖
句です。イエス様を授かったヨセフ夫婦は、エジプトへの難民生活を余儀なくさ
れます。
神様のご計画に召されているというのに、そこにはいつも困難と障害がともな
います。神様のご計画は必ずしもスムーズに、この世の栄光の中で進んでゆくわ
けではないようです。
人類の救いを果すために世にお生まれになったイエス様は、誕生を迎えられた
その時から、困難の中に投げ出されていました。そして、イエス様の使命は、そ
の後、多くの困難と障害の中で全うされて行きます。そしてやがてそのご計画は
十字架を迎えます。
この世的に見るならば最悪の事態の中、しかしまさにその時、人類の救いが全
うされていたのです。その時、誰がいったいイエス様の十字架の本当の意味を知っ
ていたでしょう。
その後、イエス様の福音を宣べ伝え始めたイエス様の弟子たちも、やがて迫害
されます。ある者は迫害の中で、ふるさとを追われます。しかしそのような迫害
の中でイエス様の福音は全世界に広められて行きました。こうして、神様の御業
は逆境の中、困難の中で進展していったのです。
このように見てゆきますと、神様の御業は必ずしも祝福と繁栄のうちに進んで
行くわけではなさそうです。かえって逆境の中、困難の中に全うされていくこと
が多いようです。
先日の安息日説教の題は「三つ目の道」というものでした。自分ではこれを
「みっつめの道」第三の道というつもりで選んだのですが、人から「先生、これ
は『みつめの道』ですか」と聞かれました。
手塚治虫の「三つ目がとおる」という漫画がありましたが、「神通力」を持つ
第三の目を持つ少年の話です。その意味では、この「三つ目の道」という言葉が
個人的には気に入っています。
「三つ目の道」それは神様の道です。人の目にはつらく、困難に思える道も、
ひょっとするとその中でこそ、神様の御業が着々と進行しているのかもしれませ
ん。
神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益と
なるように共に働くということを、わたしたちは知っています(ロマ8:28)。
人の目ではプラスはプラス、マイナスはマイナスです。しかし、神様の目から
それを見ていただくなら、マイナスに見える出来事の中にこそ、プラスの出来事、
神様の御業が進展しているのかもしれないのです。
(by 藤田 昌孝)