最も大切なこと
「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたもの
です。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために
死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこ
と、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。次いで、五百人以上もの兄
弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部
分は今なお生き残っています」(Iコリント15:3−6)。
「キリスト信仰」にとって最も大切なこと。それは、イエス様が私たちの罪を背
負って亡くなられたこと。そして三日目に復活され、弟子たちの面前に現れてく
ださったこと。ついで500人以上の人々に現れたということ。これらの「出来
事」だ、とパウロは語ります。
私たちにとって、「真理」や「教え」は重要です。何が本当であるかを「真理」
は明らかにしてくれます。正しい「教え」は私たちを正しい道へ導いてくれます。
しかし、それよりもまして大切なこと。それは、イエス様が私たちのために成
してくださったあの「出来事」、神様が私たちのために、この地上で成し遂げて
くださったあの歴史的な事実「出来事」である、とパウロは言うのです。
パウロはさらに語ります。
「「キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたが
たは今もなお罪の中にあることになります。この世の生活でキリストに望みをか
けているだけだとすれば、わたしたちはすべての人の中で最も惨めな者です。
しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂とな
られました」(同上15:17−20)。
「真理」や「教え」はとても大切です。しかしもし、私たちがそれらにただ望み
をかけているだけだとすれば、それは空しい、とパウロは言います。
大切なことは実際にイエス様が死者の中から復活されたこと。そしてそれを信
じる私たちもたとえこの世で死を迎えても、やがてイエス様の初穂にならって、
復活させていただけるということなのです。
イエス様の死について疑いを持つ方がいらっしゃいます。「イエス様が十字架
の上で気絶していた」とする「気絶説」を唱える人。「仮死状態から蘇生した」
という「蘇生説」を唱える人。
しかし、十字架刑に従事するローマの兵隊は死刑囚を生かしておけば自分たち
が処刑されてしまいます。彼らは囚人の生死その判断にかけてはプロフェッショ
ナルです。さらに彼らはイエス様の死を確認しながらも、念のためにイエス様の
わき腹から心臓にかけて槍を突き刺しました。
イエス様の復活について疑う人もいます。しかし、新約聖書は、書かれている
内容の真偽が人々によってチャックできる間に成立しています。
もし復活の事実が偽りであれば、反キリストの人々は真っ先にそのことを批判
したでしょう。しかし誰も、イエス様の復活を偽りとすることができませんでし
た。何故?それは、イエス様の復活をその目で見た人々の「大部分は今なお生き
残ってい」(气Rリント15:6)たからです。
また、弟子たちの殉教も、イエス様の復活が事実であったことを証ししてくれ
ます。イエス様の復活の真偽について誰よりもよく知っていたのはイエス様の弟
子たちです。
人は、真実のために、また信じていることのために自分の命をかけることがで
きます。しかし、嘘とわかっていることのために自分の命を捧げることはできま
せん。
イエス様の弟子の多くはイエス様の復活の出来事を伝えるためにその命を落と
していったのです。
この歴史的な事実は、今も働いてくださるイエス様の業を確かなものとしてく
れます。そしてやがて起こるべき出来事、イエス様のご再臨の約束を歴史的な事
実として証してくれるのだと思います。
(by 藤田 昌孝)