神の隠された臨在
8月23日の『TIME』誌に、「Her Agony」(彼女の苦痛)とい
う記事が載っていました。「マザー・テレサ没後10年、彼女の秘密の手紙が明
かす、50年間の彼女の信仰の危機。彼女の経験は私たちに何を教えるか?」と
いう小見出しにはじまる6ページにわたる記事です。
大和カルバリーチャペルの副牧師、柴田順一牧師がお礼拝の中で上記の記事を
要約しておられました。この要約に助けていただきながら、記事の一部をご紹介
させていただきます。
次の内容は、マザー・テレサの恩師、修道院長のコロディエ・チャック司祭に
宛てた手紙の一部です。
「私には沈黙と闇とがあまりにも深くて、神様がいらっしゃることを見ようと思っ
ても、見ることができません。神様の声を聞こうと思っても、聞こえません。私
の魂は飢え渇ききって真っ暗です。
空しくて、孤独に耐えられません。私は神様の沈黙の中で、天の存在や、神様
の存在さえも一度は疑いました。私の笑顔は私の心を隠すマスク、お面です。私
の笑顔はすべてを覆い隠す外套のようです。
私には祈ろうと思っても、祈る言葉さえ出てきません。どうか私が神様のお働
きを破壊したり、神様の栄光を損なったりしないよう、祈ってください。この暗
闇の中で、私がイスカリオテのユダにならないよう、どうか私のために祈ってく
ださい」。
マザー・テレサと聞けば、その類まれな信仰を連想するのは私だけでしょうか。
不動の信仰、深く堅固な信仰。卓越した信仰者としてマザー・テレサを思い浮か
べます。
しかし、この手紙を読むと、あのマザー・テレサにも信仰の葛藤、魂の暗闇が
あったことがうかがえます。彼女はひょっとすると私たちと同じように、罪や弱
さや痛み、苦しみを抱えながら、それでも神様のお力に頼みつつ、神様と人とに
お仕えしていたのかもしれません。
前述のコロディエ・チャック司祭は記事の中で次のように語っています。
「たとえ彼女がキリストの臨在を感じることができなかったとしても、それはキ
リストが彼女と共におられなかったということではない。むしろ彼女がそう感じ
ることによって彼女の切なる飢え渇きが彼女をして、絶大なる神の大いなる働き
をなさしめたのであり、それは彼女に与えられた神の恵みの一片であった。
彼女が自分の信仰の弱さ、足りなさ、罪深さに悩み苦しみ、痛んだその量に比
例してゆくかのように、神は彼女を通してさらなる偉大な神の栄光の御業を現し
ていったのである」。
彼女の信仰を助けた、ジョセフ・ニューナー氏は、マザー・テレサが経験した
魂の闇のことを「神の隠された臨在」と呼んでいます。彼女はその闇の中にあっ
て、神のおられることを信頼し、受けいれ、最後まで仕えたというのです。
以下は、1947年のマザー・テレサの祈りの一部です。
「神よ、私はどうして、他の多くの人々のように、立派な主の修道女となること
ができないのでしょうか。主よ、私は何を語ったらいいのかわからないほどの全
くの愚かな者です。
しかし主よ、それでもあなたが、私を必要としているのであれば、あなたの御
心をこの身に行わせてください」。
すると神様がこのように語ったといいます。
「私はインドの貧しい者、病んでいる者、飢えている者、今死のうとしている者
たちの間に、私の愛の炎を燃やしてくれる僕を探している。たしかにあなたは弱
く、罪深く、何も持たない、何もできない者であるかもしれない。
しかし私はそんなあなたを、私の偉大な栄光のために用いたい。しかし、あな
たはそれを断るか?」。
次の年1948年1月彼女は一人、カルカッタの道端に立っていました。そし
てその働きを始めます。マザー・テレサ36歳の時でした。
(by 藤田 昌孝)