心を1つに
「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい」(ヨハネ
14:1)
ここで使われています、「騒がす」という言葉は、嵐で海上の水が激しく波打
ち乱れる様子を表す言葉だそうです。つまり、「バラバラにちぎれる」という意
味です。「心を騒がせるな」とは、「心がバラバラにされないように」というこ
とになります。
私たちの住む世の中には、たくさんの要求があります。社会の要求、職場の要
求、家庭の要求「ああしてほしい」「こうしてほしい」。また情報化社会は私た
ちにいろいろな欲望を駆り立てます。「あれも買わなくちゃ」「これも食べなく
ちゃ」。
これら一つ一つに応えようとしていれば、まさに心がバラバラに引き裂かれる
思いがします。
そして心がバラバラにされるもう1つの要求があります。それは、私たち自身
から生じる甘えの要求です。「人からこうしてもらいたい」「人からこう思って
もらいたい」という欲求です。
早稲田大学教授の加藤諦三氏は、その著書の中で、これについて次のように語っ
ています。
「甘えるということは、人から『こうされたい』という欲求のことであろう。自
分が人に「こうしたい」ということではない。・・・甘えとは、人に『こうして
もらいたい』ということである以上、それを満足させられるのは他人である。
人に『こう思ってもらいたい』といっても、人は必ずしもそのように自分のこ
とを思ってくれるわけではない。そこで、甘えの満たされていない人は、不安に
なったり、怒ったり、すねたり、相手を憎んだり、恨んだりする。
不安になっている人の中には、自分を偽って、人に思ってもらいたい自分を演
じる人が多い。『こう思ってもらいたい』ということの“こう”の内容が無理な
のである。
甘えの欲求が強く残っている人は、『こう思ってもらいたい』ために無理をす
る。その無理で消耗し、ときには神経症になる」(加藤諦三『不機嫌になる心理』
111−112)。
私たちの心がバラバラになる要因のひとつは社会からの要求もそうですが、も
うひとつ、自分自身から生じる甘えの要求もそうです。「人からこうしてもらい
たい」「人からこう思ってもらいたい」この要求が強ければ強いほど、無理が生
じて、消耗し、不安が増します。まさに心がバラバラになってしまうのです。
そこで、イエス様はおっしゃいます。
「神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい」(ヨハネ14:1)。
この「信じる」という言葉は、「〜の中に身を委ねる」という意味です。
イエス様の中に、自分自身を委ねなさい、イエス様の思いをもって、神様に対
しても人に対しても「私はこうしたい」と願い、実行してゆきなさい、というこ
とです。
イエス様の思いを自分の思いとして受け止め、神様に対しても、人に対しても
「私はこうしたい」と思って実行してゆく、そうするならばバラバラだった心が
1つとされてゆくのです。
加藤氏は同書で、次のように続けていました。
「しかし、自分の世界ができてくると、その依存性がなくなり、人に対する要求
が少なくなる。つまり、『こう思ってもらいたい』『こうしてもらいたい』とい
う要求が少なくなるということである。人が強くなるということは、自分の世界
ができるということである」(同上)。
この世でイエス様を信じるということは、イエス様の思いに生きるということ、
イエス様の世界を自分の世界として生きるということです。その世界の中でバラ
バラだった心が1つとされてゆくのだと思います。
(by 藤田 昌孝)