喜びなさい

「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい」(フィリピ4:4)。

   ピリピ人への手紙は短い手紙ですが、その中で「喜び」という言葉が14回出 てくるそうです。特にこの箇所においては、常に喜びなさい。重ねて言います。 喜びなさい。と喜ぶことが熱心に勧められています。

 さて、ここで使われている「喜ぶ」という言葉の原型は、ギリシャ語で「イグ ザイル」といいます。日本でも「エグザイル」というダンスグループがあります が、彼らの「エグザイル」は流れ者、追放者、放浪者とう意味だそうです。

 ギリシャ語の「イグザイル」にも「出てゆく、分かれる」という意味が、「喜 ぶ」という意味以外にもあるそうです。ですから、当時出会いと別れの挨拶「こ んにちは」「さようなら」にもこの言葉「喜び」「イグザイル」が用いられてい ました。

 私たちの陥りやすい否定的な思いに「さようなら」と別れを告げて、神様の計 らいに、「こんにちは」と目を向ける。そんな意味がこの「喜び」「イグザイル」 にはあるのかもしれません。

 私個人としてはこの「喜びなさい」という言葉に胸を打たれたのが、牧師一年 目、函館教会でのことでした。家内が子どもを授かり、里帰りをしている冬、教 会立小学校、函館三育小学校でスキー教室がありました。

 私は助っ人で呼ばれ、小学生たちと一緒にゲレンデにいました。一人一人順番 に滑り出します。私もバッジテストを受けたことがありますので、少しはスキー には自信がありました。

 いいところを見せようとサッサッサとウエーデルン。少し山になったところに スキーを乗せました。すると、そこはアイスバーン、ツルツルです。そのまま崖 から下にまっさかさま。人工雪の鉄パイプがむき出しになった所へバーン。目の 前が一瞬真っ暗。

 ようやく目が見えてきて、まず探したのは、スキー板。高級な板でしたので。 大丈夫。一安心。次に足、大丈夫、動きます。顔面を激しく打ったため、しびれ て顔の感覚がありません。

 すると、たらたらと鮮血が雪の上に。鼻の下がぱっくりと割れていました。そ のまま車に乗って一人自宅へ。「ああ、大切なお顔が・・・牧師は顔が命(うそ です)」。時間がまだ早く、病院が開くまでは自宅待機。

 待っている間、朝、洗濯をしておいた洗物を洗濯機から出して干そうとすると、 なんと、洗濯物の中にティッシュが入っていましたようで。細かい紙くずが洗濯 物にいっぱい。こんなときにかぎって、なんなんだー。

 聖書を読んで落ち着こうとします。そこに出てきた聖句がこの聖句。常に喜び なさい。重ねて言います。喜びなさい。ふざけんなー。

 しかし落ち着いて考えてみますと、弱り目にたたり目、こんな時にも喜びなさ い。ご命令どおり、もし喜ぶことができるとしたら、この教えはすごい教えです。 めったにあるものではありません。

 喜びなさい、それは主のご命令です。感情ではなくて、行為です。抱えている 問題に留まるのではなく、そこからいったん別れを告げて、神様のお計らいへと、 目を向けてゆく。

「私が共にいるのだから、私に目をむけなさい」これがイエス様のおっしゃりた いことなのだと思います。
(by 藤田 昌孝)