今はじまる新しい今
2008年を迎えてだいぶ立って、毎日新聞2008年1月1日元旦の『余禄』
をご紹介するのも、なんなんですが、そこで、先年亡くなられた川崎洋さんの詩
「いま始まる新しいいま」がご紹介されていました。
中が略されていますが、なるほど、と思わされました。次のような詩です。
心臓から送り出された新鮮な血液は
十数秒で全身をめぐる
わたしはさっきのわたしではない
そしてあなたも
わたしたちはいつも新しい
(中略)
きょうも新しいめぐり合いがあり
まっさらの愛が
次々に生まれ
いま初めて歌われる歌がある
いつも いつも
新しいいのちを生きよう
聖書の中にも、新しくされるということについて、書かれています。たとえば、
文字の律法を守り、良き業を積み重ねてきたニコデモというユダヤの議員が、イ
エス様を訪ねます。イエス様は第一声、次のようにお語りになりました。
「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはでき
ない。」(ヨハネ3:3)
イエス様は人間が積み上げてきた業績や善行をもって、神の国に入ることはで
きないこと、イエス様によって新しく造りかえられなければならないことをお語
りになったのだと思われます。
「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古
いものは過ぎ去り、新しいものが生じた」(コリント5:17)とある通りで
す。
以前、中距離障害物レースの選手が、レースに備えて、筋肉を造り直す、とい
う話を新聞で読んだことがあります。彼はレースの数ヶ月前に、断食をして、腸
の空っぽにした後、野菜と果物、穀物だけを食料として、新しい筋肉、レース用
の筋肉を造る、という内容だったと思います。
私たちも、神様が働かれ、私たちの人生を通して豊かな実を結ぼうと思うのな
ら、イエス様とつながって、新しくされ、新しい命をもって歩み始めなければな
りません。
そのために、イエス様は私たちに聖霊の神様をお与えくださいました。
「神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、御自分の憐れみによって、
わたしたちを救ってくださいました。この救いは、聖霊によって新しく生まれさ
せ、新たに造りかえる洗いを通して実現したのです」(テトス3:5)。
エレン・G・ホワイトは、次のように語ります。
「聖霊は、魂の中の霊的生命の呼吸である。みたまを与えることはキリストのい
のちを与えることである。それは、受ける者にキリストの属性を吹き込む」(『各
時代の希望』342−343)。
イエス様の命を受けて、新しい日々、新しい歩みをしてゆきたいと願います。
(by 藤田 昌孝)