大切なもの
昨年の年末ごろ、毎日新聞の余禄に次のような記事がありました。
「『酔って暴れない。大切なものがあるから』そんな文字に社員証や家族の集合
写真を添えたポスターを、通勤の電車内で見かける。忘年会・新年会シーズンに、
主要な鉄道各社が共同で進める暴力防止の呼びかけだ。
酔っ払い同士のトラブルばかりではない。眠り込んだ乗客に「終着駅ですよ」
と声をかけただけで殴られる、といった理不尽な被害を防ぐねらいもある。
日本民営鉄道協会の調査では、鉄道職員への暴力行為は最近3年間で約190
0件にのぼり、12月の金曜日深夜に多発している。加害者の半数近くは40歳
〜50歳代の働き盛りだ。60歳以上が14%に達するのがひっかかる。
キレると大変なのは、いまや少年ではなく、中高年の方らしい。お年寄りが突
然感情を爆発させたり、身勝手な行動に走る背景には、情報のスピードや人との
コミュニケーションの急激な変化に適応できないいらだちがあるという(藤原智
美「暴走老人!」)。
まだ現役の世代にも無関係の話ではない。ネット社会に付き合うのに精いっぱ
いで、追い越される不安がつきまとう。これから迎える老後だって決して安穏で
はない。そんな心の揺れを、ほとんどの人が感じているだろう。
だからといって、アルコールの勢いで憂さをぶちまけてしまっては代償が大き
過ぎる。ポスターに目を留めて、「大切なもの」を思い出すぐらいの自制心は、
互いに持ちたい。どうですかお父さん」(毎日新聞 2007年12月17日)。
ところで、この大切なものとはいったいなんでしょうか?
このようなお話があります。戦国武将の加藤嘉明(1563−1631)が、
会津四十万石の藩主になる前、伊予松山二十万石の藩主だったときのことです。
彼は陶器が好きで、明からの渡来品である青磁の小皿を十枚もっていました。
ある日、久しぶりにそれをもちだして鑑賞していました。片づけを家来に任せ
ておいたところ、そそうから家来がそのうちの一枚を砕いてしまいました。家来
は殿様による手討ちを覚悟で、そそうをしでかしたことを正直に告白しました。
殿様は烈火のごとく怒るかと思いや、即座にあやまちを許します。「皿一枚で、
家来を殺すわけにはいかぬ。決して死んではならぬぞ」。
そしてなんと「残りの皿をもってまいれ」。「たかが皿の分際で、人の命とと
りかえを求めるようになるとは不届きな。おまえたちこそ手討ちにしてくれる」。
あっけにとられている家臣たちを前にして、殿様は庭石にすべての皿を叩きつ
けて粉々にしてしまいました。
「これでよいのだ。皿を残しておけば、見るたびにあの者のために一枚欠けてし
まった。ふとどき者めが、と罪をとがめつづけるであろう。そうなればお互いが
不幸というものじゃ」。
大切なものを大切にできる人の生き方には感動を覚えます。
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者
が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである(ヨハネ3:16)。
神様は私たちの「永遠の命」を大切なものとして、その独り子イエス様を十字
架に差し出されました。私たちも、神の国と神の義をまず求める、そのような生
き方をしたいものです。
(by 藤田 昌孝)