柔和な人々の幸い
マタイ5:5 柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。
幸いなるから!それは柔和な人々でした。
ギリシャ語の柔和(プラウス)には、二つの大きな意味があります。1つは、
喜んで仕えるということです。もう1つは、謙遜である、ということです。謙遜
であるということは、卑屈になるということではありません。
それは自分を正しく知り、分をわきまえるということです。できることは、で
きる、できないことはできません。そしてなによりも、自分は神様によって創ら
れた被造物であるということをわきまえなければなりません。そして造り主なる
神様なしには、何事もできないことを知っていなければなりません。
この二つの意味 喜んで仕える、と謙遜であるということをあわせるならば、
柔和とは、神様の前に正直に進み出て、喜んで主に用いていただくこと、そのよ
うないう意味だと思います。
私たちの本性は絶えず、自己を主張しようと戦い、競争します。しかし、これ
が私たちの平和を脅かすのです。次のようなたとえ話を聞いたことがあります。
賢いカエルがいました。カエルは一度空を飛んでみたい、と思い、白鳥に頼み
ます。僕を乗せて空を飛んでくれないか?すると、白鳥は、あなたは大きくて、
重たすぎます。1羽では運べません。そこで、カエルは思いつきました。
では、2羽でこの木の枝の両端をくわえてください。その枝の真ん中をわたし
がくわえます。白鳥は承諾し、2羽の白鳥が木の枝の両端をくわえて空を飛びた
ちました。その木の枝の真ん中をカエルがくわえています。
カエルは生まれて初めて空を飛びました。すると、その姿をみていた、仲間の
カエルが、すごい、すごい、いったい誰がこんな素晴らしいことを考えたんだ、
と口々に叫びました。空にいるカエルにもその歓声が聞こえました。そこで一言、
「私だよ」口をあけたその瞬間、まっさかさまに。
罪の特徴は、自分が、自分が、私が、私が、と主張します。しかし、それが私
たちの平和を破壊するのです。自己愛が強い間は、「人からこう思われたい」「愛
されたい」と、いつも自分を守り、見張っていなければなりません。気が気では
ありません。疲れてしまいます。
しかし、柔和を身につけてゆくならば、そのようなものから解放されてゆきま
す。問題は「自分が人にどのように思われているか」ではなくなります。柔和な
人々の関心は、「神様の御心をどのように果たすか」です。
「自分がどれだけ愛されているか」が問題ではなくなります。「自分がどれだけ
神様と人とを愛せるか」が目的なのです。
ですから柔和な人々は地を受け継ぐとイエス様はおっしゃいました。地を受け
継ぐとは、もちろんご再臨の時、迎え入れられる天国を意味しますが、もう一つ、
この世の天国です。
それは神様のご支配が豊かに表されている場所です。私たちが喜んで主に用い
ていただくことき、そこには神様のご支配が豊かに表されます。柔和な人々は神
様のご支配の豊かさの中で、その歩みを進めることが出来るのです。
(by 藤田 昌孝)