悲しむ人々の幸い2
マタイ5:4 悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。
なぜ、この「悲しむ人々」が幸いなのでしょうか?今回はその理由の二つ目を
ご紹介させていただきます。
それは、悲しみは、私たちを真の悔い改めに導いてくれるということです。
イエス様がここで語られた「悲しみ」とは、本当は、この世的な悲しみという
より、「罪のための悲しみだ」といわれています。
私たちは多くの場合、罪の結果を悲しみます。悪い行為によって引き起こされ
た苦い結果について悲しみを覚えます。しかしイエス様が望まれているのは、罪
それ自体を悲しむことです。
ところが、罪それ自体を悲しむことは、なかなか容易なことではありません。
人の努力や意志でできることではありません。それは神様のお働きです。聖霊の
神様が働かれるとき、私の目が開かれて、私の罪が何なのか、その罪が何を引き
起こしているのかが、わかってきます。
私たちはイエス様の十字架に導かれます。自分の罪が刺し通したイエス様を仰
ぎ見るのです。そのとき、私の罪が何なのか、その罪が何を引き起こしているの
かが、わかってくるのです。
私が今も罪を犯すなら、そのたびにイエス様のお体には新しい傷が加えられま
す。私の犯した罪がイエス様の十字架の痛みをさらに増し加えてゆくのです。そ
のことを知れば知るほど、私たちは、やがて罪それ自体を悲しむようになるので
す。
東北地方に父と娘の2人暮らしの親子がいらっしゃいました。お嬢さんは30
歳くらいになり、お父さんは退職して、わずかなお金で小さな家を買い、早く孫
の顔でも見たいといって暮らしておられました。
ところがある日突然、このお嬢さんが蒸発しました。それもつかの間、お父さ
んのもとに、見たこともないような手紙がどんどん舞い込みました。それは、請
求書でした。実は、お嬢さんがいつの間にか、多額の借金をしていたのです。一
千万円以上になろうという借金でした。
お嬢さんはお父さんに手紙を書きました。お友達の借金の保証人になってしまっ
たこと、それに自分の借金も加わり、雪だるま式に増えて、とても自分では払い
きれなくなってしまったこと。もう死にたいと思ったこと。でも、死ぬことがで
きず、こうして都会に出てきたこと。
お父さんは驚きました。けれど、娘のことを思うと、やっと買った小さな家を
売り払い、隠居の身をすっかり忘れて、朝働き、昼働き、夜働いて、7年間身を
粉にして働きました。
とうとう7年目、このお嬢さんの借金を全部、払い終えました。そして娘に手
紙を書きました。「娘よ。おまえの借金は全部、お父さんが払い終わったよ。お
まえはもう自由の身だよ」その手紙を書いて三日目に、お父さんは亡くなられま
した。
私たちは罪という、払いきれない大きな借金を背負っています。その借金を全
額イエス様が支払ってくださいました。そして「私が全部払い終わったから、お
前はもう自由の身だよ」とこの聖書という手紙に書いてくださいました。そのた
めにイエス様はお亡くなりになりました。
私の罪がイエス様を殺しました。私が犯す罪は今も、イエス様の痛みを増し加
えるのです。私たちが犯す罪が、再びイエス様を釘づけにするのです。傷つき痛
められたイエス様の心をもう一度刺し貫くのです。自分の罪を知るとき、私たち
はその罪自体を悲しみます。
しかしこの悲しみは、慰められます。もし、私たちが、その罪の悲しみをいだ
いて、イエス様のところに逃げ込むならば、そこで、イエス様からの慰めを受け
ます。罪の重荷から解放されます。本当の自由を喜ぶに至ります。そのために神
様は私たちの罪を明らかにされるのです。
イエス様はおっしゃいました。「その人たちは慰められる。」世の中の楽しみ
や気晴らしは、本質的な解決にはなりません。しかし、イエス様がなしてくださ
る慰めは、本質的な慰めです。心の底から変革を与えてくださる慰めです。
「わたしは彼らの嘆きを喜びに変え/彼らを慰め、悲しみに代えて喜び祝わせる」
(エレミヤ31:13後半)。
(by 藤田 昌孝)