義のために迫害される人々の幸い2

義のために迫害される人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。(マタイ5:10)

 イエス様は私たちに無責任な気休めをお語りにはなりません。イエス様を信じ れば、試練はありません、困難もありません、などといる約束は、なさいません でした。

 しかし、それよりもはるかに良いものを約束してくださいました。それが、義 のために迫害される人々が受ける幸いです。『各時代の希望』や『祝福の山』に は、義のための迫害によって受ける幸いが5つ描かれていました。最後にそれら について、ご一緒に瞑想してゆきたいと思います。

1.
義のために迫害される人々の幸い それは、参戦することの幸いです。戦い に 参加することの幸いです。『各時代の希望』中11頁には、次のようなことが書 かれていました。

「一つ一つの戦いは、義のための大きな戦いの中にそれぞれの立場を占めていて、 それは、彼らの最後の勝利によろこびをまし加える」。

 つまり、私たちの経験する一つ一つの戦いは、善と悪との大争闘の中のひとつ の重要な戦いを担っている、ということなのです。私たちが、今何らかの試練や 迫害、罪との戦いを経験しているとするならば、

それは各時代にわたってなされている善と悪の大いなる戦いの一つに私たちが今 まさに参戦していることになるのです。このことはイエス様が最終的な大勝利を 向かえたとき、勝利の喜びを増し加えるものとなるのです。

 今何らかの試練や迫害、罪との戦いを経験している人は、アルプススタンドで 試合を眺めている人たちではありません。またはベンチを暖めている控えの選手 でもありません。

 その人は今まさに、自らマウンドに立ってボールを投げているピッチャー。今 まさにヒットを打っているバッターなのです。グランドに出て、汗と泥のにまみ れて戦った者だけが味わうことのできる勝利の喜びを私たちは経験することがで きるのです。

2.
迫害や妨害、試練は、私たちをイエス様の共労者として整えてくれる、というこ とです。

「激しい試練の一つ一つは、彼らを洗練するための神の手段である。その一つ一 つは、彼らを神の共労者として彼らの働きにふさわしい者とする」(『各時代の 希望』中10,11)。

 試練は、私たちを清め、罪を取り除いてくれます。より自分を明け渡し、より 神様を愛するように整えられてゆくのです。

3.
義のための迫害は、私たちの信仰を丈夫にしてくれます。『祝福の山』40頁に はこのように書かれています。

「言葉も、動機も、行動も、誤解され曲解される。しかし彼はもっと重大な事が らに関心をもつのでそれを気にしない」。

 試練や迫害は、私たちの心をタフにしてくれます。愚弄されても、非難されて も、あまり気落ちしなくなります。なぜなら、人のことよりも、神様についての 関心が大きくなるからです。

 イエス様からいただいています「永遠の命」を育てる日ごとの食物は聖書の御 言葉です。「永遠の命」の筋肉を育てる運動は、与えられた御言葉を実行するこ とです。

 そして永遠の命に抵抗力、免疫力をつけるのは、どうやら、試練や困難、迫害 です。その中で、私たちの信仰は強められ、丈夫になってゆきます。私たちの品 性と信仰に落ち着きが生まれてきます。少しのことで、希望は信仰を失うような ことがなくなります。

4.
迫害を通して、キリストの真理は広められてゆきます。 ステパノというキリス トの弟子は、当時の宗教指導者たちの手によって石で打ち殺されました。それは、 福音を宣べ伝えるということにおいては、たいへん大きな痛手でした。

 しかし、その時の彼の言葉と、その顔に輝いた天の光は、そこにいた一人の議 員の心を刺し貫いていたのです。この議員はやがて世界に福音を宣べ伝える大き な器へと変えられてゆきました。使徒パウロです。

 迫害はキリストの真理を広めるために妨害となることはありません。一見その ように見えます。しかし、迫害はキリストのみわざを微塵も妨害することはでき ません。それどころか、その迫害を通して、神様のみわざはさらに大きく展開し てゆくのです。

5.
主が共におられる幸い、イエス様はキリストに従う者に天における報いは大きい とおっしゃいました。しかし、イエスの幸いはなにもかも、来世に置かれている のではありません。幸いは、この地上からすでに始まっています。

 それはイエス様がいつも私たちのそばに共にいてくださるという幸いです。試 練の中で、私たちは、イエス様をさらに深く知り、さらに愛するようになります。 そしてイエス様はいつも私たちと共におられることを知るのです。

 これは大きな喜びです。以前、私がご紹介したお話を覚えておられるでしょう か?アメリカにあるひとつの伝説です。

 アメリカに一人の少女がいました。その夜両親は夫婦喧嘩をしていました。父 親は思わず、自分の妻を少女の母親をピストルで撃ってしまいました。その後父 親は、自分もこめかみに銃を当てて、自殺します。

 その全てを少女は目の前で見ていました。少女は血の海の中、一晩中そこに残 され、次の日の早朝、保護されました。

 彼女を引き取った施設の職員は、クリスチャンで、彼女を教会に連れてゆきま す。そこで、教会学校の先生に少女の身の上を説明して彼女の面倒を見てもらう ようにお願いします。

 教会学校の先生は、少女にイエス様の絵を見せて、このお方は、いつもあなた のそばにてくださって、いつもあなたを守ってくれる人よ。あなたを心から愛し てくださるのよ。といいます。すると、少女は、「知っているよ、」 「どうし て? 」「だって、この人は私をあの晩、ずっと抱っこしていてくれたんだも の」。
(by 藤田 昌孝)