「私は決してあなたを忘れない」


「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまない 

 であろうか。たとえ、女たちが忘れようともわたしがあなたを忘れることは決し

 てない。見よ、私はあなたを わたしの手のひらに刻みつける。」      

                        (イザヤ49の15、16)


 私にも、私のことをいつも心にかけてくれる母がいます。フィリピンに留学し 

た時は、1週間から10日ごとに、手紙を書いてくれました。当時、学生アパー 

トには電話がなかったので、母はせっせと手紙を書いてくれました。アメリカに 

いた時は電話がありましたので、毎週欠かさず電話をかけてきました。特別に用 

事はありません。ただ、元気かどうかを確認する電話でした。「よう聞こえるね」

といって感心していました。たびたびかけると電話代が大変よ、といえば「案外 

安いよ」と言います。毎回の電話で決まって口にすることは、「みんな元気?毎 

日祈っているからね」でした。このよう母の姿の中に、私を心に留めてくださる 

愛の神をかいま見るのです。                        

 普通の母親なら、自分の乳飲み子のことを心にかけています。自分の産んだ子 

をいとしく思います。しかし、人間ですから、自分自身が苦しんでいる時、心に 

ゆとりのない時には、子供のことを忘れたり、わずらわしく感じることもあるで 

しょう。しかし主は「たとえ、女たちが忘れようとも わたしがあなたを忘れる 

ことは決してない」と言われるのです。                   

 主の手のひらには、十字架に釘付けられた傷が消えることなく、彫り刻まれて 

いるのです。それは、私を愛する故に、私の罪のために、命まで捨ててくださっ 

た記念の傷です。その傷が消えることがないように、主の愛が私から離れること 

は決してありません。忘れることができない、というのではなく「忘れることは 

決してない」というのです。主の強い意思を表す言葉です。          

 主よ、感謝します。                           

                             (by 明智信作)