「希望の芽」
お元気ですか? 明智信作です。私たちの教会の周囲に、コンクリートの鉢に
植えられたつつじがあります。その内の二つが、昨年の夏の間に茶色に変わり、
枯れてしまったように見えました。枯らしてしまったかな、と責任を感じていた
のですが、6月に入って、注意深く見ると、かわいい新芽があちこちから出てい
るのを発見しました。それは心を明るくする希望の芽でした。その芽が成長する
のを見る度にうれしくなりました。根は枯れていなかったのです。希望がある、
と言うことは本当にすばらしいですね。星野富弘さんがこんな詩を書いています。
「幸せ という 花があるとすれば その花のつぼみのようなものだろうか
辛い という字がある もう少しで 幸せ に なれそうな字である」
ご存知のように、星野富弘さんは、首から下が完全に動きません。24歳で体
の自由を奪われた星野さんにとって、悔やんでも悔やみきれない程、辛いことだ
ったに違いありません。その彼が、神を信じるようになったとき、このような詩
をかけるようになったのです。彼の詩には、辛い経験の向こうに幸せがあること
を知っている者の明るさが感じられます。確かに神を信じる生活には、いつも希
望があります。ですからどんな苦しい経験にも耐えることができるのです。星野
さんには、さらに、こんなすばらしい詩があります。
「いのちが一番大切だと 思っていたころ 生きるのが苦しかった
いのちより大切なものがあると知った日 生きているのが嬉しかった」
命よりも大切なもの、それは命の神、愛の神を信じる信仰です。首から下が動け
なくても、「生きているのが嬉しかった」を言えたのは、彼が、自分を生かして
下さり、愛して下さる神を知ったからです。苦しみにあっても、そのただなかで、
喜び、感謝し、希望をもって生きることのできる人生が私たちに与えられていま
す。あなたを造り、あなたを愛し、あなたのために生きてくださる神がおられま
す。この神を、私たちも、真剣に求め続けようではありませんか。
(by 明智信作)