「明日を知る神にまかせて」


 お元気ですか? 明智信作です。キリストの説教の一節に、「あすのことを思 

いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、

その日一日だけで十分である」というのがあります。私達の生活には、心配ごと 

がつきまといます。明日のこと、あるいは将来の事が心配で、今日の仕事に身が 

入らない、という経験をお持ちの方もいると思います。しかし、キリストは、明 

日のことは心配するな、一日の苦労はその日一日だけで十分である、と仰せにな 

りました。                                

 毎日とても忙しく働いていたある牧師が、激しい胃の痛みに悩まされていまし 

た。多忙な仕事からくるストレスが原因でした。説教の準備、あらゆる教会活動 

等で、絶えず緊張し、くつろぐ暇もなかったからです。また、胃が痛くなると、 

彼の父親が胃癌で亡くなっていたことを思い出して、自分も胃癌になるのではな 

いかという心配にかられるのでした。そんなある日、彼は奥さんの皿洗いの手伝 

いをしました。奥さんは実に楽しそうに、歌を歌いながら皿を洗っています。そ 

のとき、彼の心の中にひとつの考えが浮かんできました。「もう結婚して18年 

にもなる。もし新婚時代に、彼女の目の前に18年分の皿が山と積まれていたな 

ら、彼女はうんざりしたに違いない。このように彼女が皿洗いを苦にしないのは、

一度に一日分の皿を洗うだけだからではないだろうか。」そう考えると、彼は自 

分の愚かな生き方に気がつきました。一度に一日分の皿を洗う事だけに集中する 

なら、楽しく、また心をこめて皿を洗う事ができるのです。一日の苦労はその日 

一日だけで十分である、と言われたキリストの言葉をいつも覚えていたいもので 

す。私達に命を与え、生かして下さる神は、また私達の明日を知る神であります。

この神がわたしたちを愛して、私達の明日の事を心に掛けていてくださることを 

本当に信じるとき、私達は明日の事を心配しなくなります。その時、私達は、今 

日という一日を全力で生きる事ができるのです。               

 新約聖書に「神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思 

いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい」とあります。          

 実は、明日のことをいくら心配しても、私達にはどうすることもできません。 

それはただ単にエネルギーの浪費でしかありません。それでも、危険や損害が突 

然ふりかかってくることがあるわけですから、それを予想して心配するのももっ 

ともなことではあります。しかし、私達には、明日を知る神がおられる、と聖書 

は教えています。                             

 「砂時計の上の部分にはたくさんの砂がありますが、ごく少量の砂だけが、ゆ 

っくりと中央の狭い首の部分を通過していきます。一度にたくさんの砂粒を通過 

させようとすると全体が壊れてしまいます。人生は砂時計のようなものです。今 

日の仕事、今日の思考の課題を順序よくこなしてゆくなら、なんの心配も在りま 

せん。でも、明日やるべき事柄まで今日の分として取り込んでしまうなら、心も 

体も疲労し、果てには壊れてしまいます。一度に少しずつ、今は今のことに集中 

すること、これが大切です。」                       

            (サインズ1993年、10月号、小島英伯、p8) 

                            (by 明智信作)